ようやく単鞭がわかってきました。
単鞭は、太極拳の套路で何回も出てくる動作であり、太極拳のポーズといえばこれ! みたいな代表的な「勢」であろうかと思いますが、まだしっくりきてなかったのです。
指導を受けるたびに形を修正され、永遠に完成しないような気もしておりましたが、ついに「これだ!」という感覚が沸き起こりました。
夜明けの超ゆっくり慢練をしている時にです。
陰陽が絶妙に転換し、我彼の順背が滑らかに入れ替わる感覚です。拙力は完全に消え、100%纏絲の勁で動いている感覚があります。
相手がいたならば、まったく抵抗を受けることもなく崩せていることでありましょう。
一人で套路をしているときに、閃いたというか、ついに掘り出した、というかんじなのですが、対人練習で掴んだ感覚も大いに糧となっていると思います。
推手道場では後輩に教えることがあります。
「こうやったら楽に相手を崩せます、ほら、単鞭の形になっていますねー、ちょっとやってみて、いやそうじゃない、押し込むんじゃないの、ひっついて広がって沈むの、踏ん張らないの! 体、捻じらない! 手の方、みて! 視線は遠くに、後ろの音聞く! 体はまっすぐ! おっ、そこで息を抜く! ほらできましたー」と、自分を練習台にして教えているのですが、この時、指導している自分自身から拙力が抜け切れていないと気づいて、まだまだアカンなあと、密かに思っておったのです。
先日は、わが娘にも教えました。
形ばかりの楊式の教室でのこと、二人一組になってお互いの形を見てくださいという時間に、「この形にはこんな意味があんねんで」と、「靠」を食らわせてやりました。
やらせてみて「そうじゃない、ぶつけるんじゃなくて、ひっついて広がって、のしかかるの!」といえば、親の言うことに逆らってばかりのようでも根が素直な娘は、その通りにやって、一発で私を吹き飛ばしました。
飛ばされた私は思わず震脚してしまい、体育館がバーンと響いてみなさんビックリ。
おおおっ? 見込みがある!
道場の後輩は、真剣に先輩の言うことを聞いているようでも、これまでの常識とかこだわりが潜在意識に沁みついていて、なかなか言う通りに動いてくれません。
やっぱり子供の素直さは素晴らしいです。
間違えた太極拳歴の長い私もやっぱり、思い込みや執着が取りきれていなかったのだと思います。
それが、寝起きの脳が活性化していない時に、体の赴くままにゆっくりやったことで、先生が伝えたかったことが、ふいに実現できたのかもしれません。
こういうのを「アハ体験」というのかなあ?
大山倍達は老境になって、拳の握り方がようやくわかった、と言われたそうですが、同じような感覚だったのでしょうか。
単鞭がわかれば、懶扎衣でも野馬分鬃でもなんでも同じですね。これで套路の中身がまた変わりました。
また一歩、達人に近づいた!
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