生まれて初めてオペラの舞台を観劇しまして感激しました。
というのも、うちの娘が子役で出演していたのです。
有料公演のプロの劇団のメンバーに抜擢されるって、すごいこっちゃ!
と思ったら、学校の合唱部に案内が来て、申し込み先着順の採用だったらしいのですけど、それでも、何度も合同練習に参加し、前日と前々日は学校を早退までして、練習してました。
衣装も用意して、本格的。(ギャラは無し)
うちの子は、第1幕でちょろっとあらわれ、第2幕のお祭り騒ぎのシーンでは、舞台の上を行ったり来たり歌ったり叫んだりして大活躍でした。
ただ、大活躍している子はたくさんいて、探すのが大変。
双眼鏡で探索して発見。おおーがんばっとる!
劇のお題目は「ラ・ボエーム」。たしか百田尚樹著「クラシックを読む」でも紹介されていたような。
あらすじを娘に聞いてみたところ、
「ロナルドっていう売れない作家と、売れないなんちゃらと、売れない誰かと誰かが一緒に住んでんねん。ほんで、可愛いお針子の女の子が来て、ロナルドと付き合うねん。でも、女の子は病気やって、なんやかんやあって、死んじゃうねん。チーン。」
…というお話だそうです。
なんかいろいろ違うような気がしますし、その、なんやかんやの部分が重要な気がします。
何が面白かった? ときくと、出番のない第3幕と第4幕の間、楽屋でお友達と遊んでいたことだそうです。チーン。
でも、初めてのオペラ、雰囲気に入り込めて良かったです。
全編イタリア語なので、両脇の字幕を追うのと、双眼鏡を覗くのとで、目は疲れました。
盛り上がったところでは、客席から「ブラボー!」と、合いの手が入ります。
歌舞伎の「中村屋!」みたいなかんじですね。オペラにも大向うがあったのかー。
聞いたことのある歌もありました。
歌だけ聞いていると、合唱しているように思ってたのですが、実は、セリフの掛け合いになっていたり、同時に違うセリフで歌ったりしていたとわかって、面白かったです。
歌とお芝居がブツ切りでなく、つなぎ目なしという構成は、このプッチーニの「ラ・ボエーム」からだそうです。革新的作品だったのですね。
さて、歌やお芝居は良かったですが、ストーリーに共感とか感激は特になく、なんかようわからんかったなあというのが正直な感想です。
娘よりもうちょっと詳しく説明すると、こんなかんじ。
若い貧乏芸術家(詩人)の一人(ロナルドじゃなくてロドルフォ)が、これまた貧しい(パンフレットの説明によると下層の底辺)女の子ミミ(仮名)と出会い、お付き合いを始めます。
これが第一幕。
仲間の一人(絵描き)も派手なギャル(ムゼッタ)と付き合っていて、こちらは浮気性で振り回されています。
ここらへんのドタバタが第2幕で、うちの子が活躍するシーンです。
ミミは病弱で(パンフレットによると結核?)、ロドルフォは貧しい自分では看病できないと言い訳して、ミミと別れます。
どういうわけか別れた後、ミミは金持ちに囲われていたみたいなのですが、病気が悪化してもうすぐ死ぬという段になって、ロドルフォのところにやってくるのです。
色々と思い出話をして、お互いの気持ちを打ち明けて、死んで、終わり。チーン。
えっ、ここで終わり??
男共、アカンタレやん! みたいに思ってしまい、あんまし共感できなかったのですが、時代背景が現代日本社会とはずいぶん違うのですね。
パンフレットによると、貧乏芸術家たちは実はボンボンが家を飛び出して、好きで貧乏になっていたそうなのですが、底辺女性というのは本当に貧しく、劣悪な労働環境で稼ぎが悪く、売春して生きていたような人々であったらしいです。
だから同じ貧乏でもロドルフォ達と女性たちは、属性が違います。
単純に、好きだ嫌いだでひっついたり別れたりじゃなかったみたいで、女性の生き方、身の振り方、死に様に、当時の人は心ゆすぶられて泣いたのでありましょう。
私も昔を振り返れば、好きだった子がOB先輩と付き合い出したり、出身地から頼ってきた男友達と同棲し始めたり、病気になったり、入院したり、お見舞いに通ったり、貧乏で死んではないですが、なんかいろいろあったなあ。
その多感な時期に、このオペラを見ていれば、共感して涙を流したかもしれませんが、50過ぎのオッサンとなった今となっては、特になんも響きまへんわ。
心が鈍感になったのかもしれませんです。
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