アール・ブリュットと障害者芸術

音楽・美術・芸術・映画

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「アール・ブリュット美術展」が、この11月に東京国際フォーラムで開かれたとのことで、注目されているようです。

大津市の県立近代美術館は、アール・ブリュット美術館にリニューアルするそうですし、鳥取県では「くらよしアートミュージアム無心」という障害者美術の施設がオープンしています。

(写真の子には特に障害はありませんが、アール・ブリュットの定義にはあっているような。)

目次

アール・ブリュットとは

アール・ブリュットというのはフランス語でして、定義は「汚されていない、生の、作家が自らの衝動にのみ駆られて創造した芸術制作」ということです。(ローザンヌ美術館サラ・ロンバルティ館長による定義)

なんのこっちゃといえば、すなわち、正規の美術教育を受けてない人たち、主に知的障害があったり自閉症の人ということになるんですが、それらの人が勝手気ままにルールや制約を無視して、展覧会で賞を取りたいとか、売って儲けようとかいう、ヨコシマな考えゼロで作った芸術です。

といえば、裸の大将・山下清画伯の、花火の貼り絵がピンとくる人にはピンとくるでしょうが、あんなかんじですね。

山下画伯は、全国を旅して見て回った景色を、強烈な記憶力で鮮明に覚えていて、施設に帰った時に作品にしていたということです。

アウトサイダーアート

英語に訳すと、アール・ブリュットはアウトサイダーアートになります。異端ってことになるんですね。

絵画に限らず、音楽や文学、建築なども含まれ、作家も、子供とか、受刑者とか、変わり者とか誰でもいいのですが、やはりアートになるのは、知的障害のある人によるものが多いということです。日本では「障害者アート」などと呼ばれることもあるようです。

私は月に2回ほど、知的障害の人たちとパソコン教室に参加してます。カレンダーやはがきシールとか作ってみようというだけのことで、あんまり芸術的創作活動はしてませんが、隣の教室は書道教室でして、壁に貼ってある作品がなかなか独創的です。

半紙に墨で、でっかく「AKB48」と書いてみたり、なかなかぶっとんでました。

先生の指導の賜物か、だんだんと、まとまった上手な字になって、題材も面白くなくなってきてるんですが、アートを目指すならば、好き勝手に書いてもらったほうがいいですね。

私の知り合いに現代美術家(ウエダリクオ氏)がおりまして、やはり同じような感想を述べられておりました。天然アーティストに健常者の一般常識的ルールを押し付けたら、せっかくの才能が死んでしまう!と。

健常者の現代アーティストは、どうしたって天然の才能にはかなわないそうです。

知的「障害」とは、障害とは言いますが、能力が劣っているんじゃなくて、脳みその使われ方が、世間一般大多数の人類と違った偏り方をしていて、現在の世間一般的大多数優遇社会とはズレがあって社会不適合になっているという状態なんじゃないかな、と思ったりします。

アール・ブリュットの展覧会

わたしは自分で絵を描かないですが、わりとよく日展とか二科展とか見に行きます。(動物園に行ったついでとかに・・・)

しかし、アバンギャルドなはずの現代美術にしても、退屈なものが多いように感じます。入口から出口まで、一通り巡るのですが、思わず足を止めてしまう作品って、本当に少ないです。

私の見る目がないからでしょうけど。

でも、デパートなんかでやってる子供の作品展では、けっこう、じっくり見てしまうんですよね。「汚されてない、生の」芸術だからでしょうか。

有名人だと、ジミー大西ちゃんとか、統合失調症だったという草間彌生さんの作品は、やっぱり面白いと思います。(汚されていない、という面では微妙な感じもしますが。)

アール・ブリュットの展覧会はまだいったことがないんですけど、関西で開催されれば、ぜひ見に行きたいと思います。

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