堺の鉄砲鍛冶屋敷跡を見学

雛祭りの日オープン、堺市は北旅籠町西の鉄砲鍛冶屋敷跡、井上家の見学に家族で行きました。

地元堺市の、このあたりの旧跡名跡はだいたい回ったことがありますが、井上家は普通の住宅として使われていて、これまで公開はされておらず、家の前に案内板が立っているだけでした。

それがこのたび、当主が亡くなられたのかどうか事情は知りませんが、公開されるということを知りまして、早速駆け付けた次第。

江戸の昔はこのあたり一帯、鉄砲製造業が固まって分業していたそうです。表通りに面したところでは店舗もあったそうですが、だいたい空襲でなくなって、ちょっと奥まったところにあったこの井上家だけが残ったようです。店舗はなくて受注生産の工場として、幕府とかにも納品していたみたいです。

入ってビックリ、鉄砲製造のパネルとか、体験コーナーとか博物館的なものも良かったですが、工場一手張りでなく本当にお屋敷で、思っていたよりずっと中が広かったです。お庭もあり茶室もあり、うちの娘は「縁側いいなあー、お庭もあっていいなー、犬飼いたい」と申しておりました。

家の作りというか雰囲気は、建て替える前の私の実家にもよく似ていました。うちにも縁側があったし廊下もあったし。懐かしい感じがします。

鉄砲屋敷は北旅篭町ですが、南旅篭町では私の先祖が桶樽工場を経営していて、戦前は相当に羽振りが良かったみたいです。

空襲で完全に丸焼けになって、残されたものは屋号の入った蒸籠くらい? 子供の頃、実家にありましたが、今はもうありません。

曾祖母が切れ者で、空襲前に不動産賃貸業を始め、そこらじゅうに長屋を建てて、それが戦争後もいくつか残り、本業消滅後の家計を支えたそうです。

歴史を感じますねえ。

家の歴史は文献があるわけでもなく、母からの伝聞です。母は嫁入りしてきたので、その前の歴史は祖母から聞いたのだと思います。母は、自分で家系図作ってました。

「わかるところまで作ったから、あんた、あと作り」とは言われておりますが、まだなんもしておりません。娘に伝えないと、家伝は途絶えてしまうなあ。太極拳の伝承も大事ですが、我が家の伝承も大事にせねば。

お土産には、お向かいの浅香家で、冥土の旅に持っていく六文銭セットを、娘は買っておりました。

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