タイマンか合戦か

キックボクサーの人と関節技の練習していて感じたことです。

どうやら「関節技の先に寝技がある」というイメージを持っておられるようだったのです。

テレビでやってる格闘技の大会で、マットの上で寝転がって組み合ってゴロゴロしながら関節を取り合う、あのイメージですね。

私は寝技にはあまり興味が湧かなくて、そういう番組は見たことがないのですけど、高校生の頃は、少林寺拳法部にいたプロレスファンに付き合って、床に転がってアキレス腱固めの応酬とかやっておりました。

でも、少林寺拳法に寝技ってありません。相手を床に寝そべらす技はいくつもありますが、自分は立っています。

これは、敵は複数だという想定だからです。自分が寝転がってしまっては、二人目以降の敵に対応できなくなります。

少林寺拳法には3人演武ってのがありまして、投げ技を打つときは、二人目の敵との間に、バリケードになるような位置に投げて転ばして固めるように構成します。二人目がかかってきたら、すぐに応戦できるようになっているのです。

太極拳の場合、想定しているのは、1対多数というより、集団戦だと習いました。

しかも、敵は刀やら槍やら持っています。合戦ですね。

一人と組んで、投げたところで、のんびり制圧していたら、他の敵に突き殺されます。

だから、投げたら投げっぱなし。転がしでもできれば、味方の誰かが突き殺してくれるだろうという感覚だったのだと思われます。

この感覚の違いって、たぶん支那の文化なんでしょうね。

カンフー映画を見ていればわかりますが、敵味方の誰かが揉めれば、「それっ、いてまえ~」と、全員が参加します。

たまに戦っている張本人が「待て! 手を出すんじゃねえ!」みたいに手下を制止することもありますが、基本的に乱闘文化です。

それにくらべると、ボクシング文化の国では、1対1の正々堂々の殴り合いですし、ブラジリアン柔術のブラジルでも、周りの人は取り囲んで見物に徹するということだったそうです。

日本でも昔は、合戦でも大将同士がまず勝負、みたいなかんじだったと習ったような気もしますが、時代劇の斬り合いはおおむね乱闘ですから、よくわかりません。

なんにせよ、寝技ができるのは、平和だからってことになります。乱世に寝技はないって、ことですね。

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