最悪の場合

学習・資格・教養

「最悪の場合」という言い回しを最近良く耳にします。先日は小学一年生のうちの娘も使っておりました。

なんでも、学校で歌の発表で課題曲があるらしいのですが、覚えきれなかったら、他の簡単な歌でもいいよ、ということで、最悪の場合、なんか別の歌を歌うらしいです。

課題曲が覚えきれないくらいが、「最悪の事態」か?

でも、こういうお気軽な感じで、「最悪」という言葉がよく使われますね。私はすごく違和感を感じるのですけど。

目次

最悪の定義

私の思う最悪って、アメリカと中国とロシアと北朝鮮の関係がうまく調整できなくて、第三次世界大戦になったとか、地球温暖化が進んで南極も北極も全部氷が溶けてしまって、エベレストとかキリマンジャロの先っちょしか地上に顔を出さなくなったとか、そういう事態です。

これ以上悪いことってないでしょ、というのが最悪です。

ニュアンスの近い言葉では、「不測の事態」とか「万が一」という言葉がありますが、これは、大事な国際会議に出かけようとしたら、台風のため関西国際空港の連絡橋にタンカーがぶつかって、飛行機が飛べなくなった、というようなイメージを持っております。

で、他の空港からも飛行機が出ない、船も出ない、潜水艦も出ない、電話もスカイプもつながらない、Cプランも、Dプランも、Eプランも、Fプランも全部駄目、もう打つ手がない、最悪の手段として、延期しましょか、というのが、最悪の場合、という正しい使い方じゃないかと思うのです。

それが最近の使い方を聞いておりますと、当初の予定がだめになって、次善策、Bプランを考える段階で「最悪」という言葉を使っているような気がします。

二番目も駄目なら「最悪の最悪」だとか、第3案もだめな場合は、「最悪の最悪の最悪」とか言ったりして。もうわけがわかりませんね。

次善策を考えておく

最悪という言葉は、ネガティブなイメージがあります。もう、後がないというか、先がないというか、追い詰められて思考停止、というかんじです。

本当の本当に最悪の最悪の事態なら、もう残されているのは、滅びの道か集団自決か、そういうかんじですが、日常会話では、たいていの場合、「最悪」といっても最初の計画が狂った、というだけのことですね。

アクシデントを想定しておいて、策を立てておくのが計画であって、第5案くらいまで考えてあるうちの第4案でうまくいったら、まだ最悪じゃなかったということになります。

そういう私は、事前に策を張り巡らせておけるほど賢くはないのですが、行き詰まっても、「最悪」なんていわずに、なにか考えるようにしております。

(でもまあ、災害グッズを家においてるとか、車で外出時は、眼鏡のスペアも持っていくとか、その程度のことは心がけております。)

最悪の事態でもこれが良いと思う

想定外の事態が起こって、手の施しようがないこともあるかと思います。原発事故などそうですね。

まさに最悪の事態ですが、それでもなにか手を打たないといけないわけで、関係者は「最悪!」なんて言っておれなかったろうと思います。

我々個人の生活でも、病気になったとか、事故にあったとか、いろいろ苦難に立たされることはあります。

そういう場合の心がけですが、「最悪」というのではなくて、「これが良い」と思うのも一つの手です。客観的に見ても、全然いいことでないにしても、未来が変わります。

10年後に振り返ってみたら、あれが良かった、と思えるかもしれません。思えないかもしれませんが、最悪の気分の中でも、ちょっと希望が湧いてきます。

余命半年と宣言されたとか、家族が事故にあったとか、台風で家がなくなったとか、とても「これが良い」とは考えられないかもしれないと思います。私もその時になったら自信がないです。

でも、本当にそんなショッキングな事態になった時のために、普段の小さいトラブルの時に練習しておきましょう。

醤油と間違えて、ソースを刺し身にぶっかけてしまった! 「最悪!」と思うのではなく、「これがよい」と思いましょう。なんか新しい味覚の発見があるのかもしれません。

終電で寝込んで、自宅より10km先の駅で降りる羽目になってしまった。金もない、携帯電話の電池も切れてる、最悪! と嘆かず、10km歩いて、運動不足を解消しましょう。

この程度の軽いトラブルで、思考回路を慣らしておけば、いざというときも冷静に対処できるかもしれませんね。

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