私が地元の太極拳教室に通いはじめたのが、7,8年前で、その1年後くらいから推手も再開しました。
その頃に色々と教えてもらってお世話になった方がいます。
あっちこっちで教えてもらったし、人の縁を繋いでもらったし、練習場所も提供してもらったりして、感謝いっぱいです。恩人です。
その恩人とは、ちかごろ疎遠になっていたのですが、久しぶりにお会いしました。
疎遠になっていたのは、地理的に遠くなったとか、私の仕事の段取りとバッティングすることが多くなったとか、それなりの理由は色々あるのですが、一番の理由は、気分的なものです。
私の進むべき道が見えてきて、その道からは外れてしまったかなあ、申し訳ないけど、あんまり会いたくないなあという気分が、大きいのです。
恩知らずな自分だなあと思うんですけど。
安田先生に巡り合って、伝統の陳氏太極拳を学ぶようになって、私自身、太極拳に対する見方が大きく変わりました。
技術面の凄さとか、武術としての奥深さとかもありますが、太極門という生き方みたいな感覚で、影響を受けております。
そういう大海のような世界を知るようになって、狭い浅い池の中でパチャパチャやっているような、マニアックなテクニカルなウンチクには、すっかり興味を失いました。
あーだ、こーだ、しょうもない不毛な議論している暇があったら、套路や推手を黙々と繰り返していたいです。
知ったかぶりの浅い知識に、感心するふりは、くたびれます。
申し訳ないのですが、恩人は、そのカテゴリーに入ってしまいました。
そういうわけで、くたびれるわりに得るものがなくなったので、感謝しつつ、静かに消えようと思っていたのです。
しかし、会ってしまいました。
久しぶりに手を合わせていただきまして、言葉は悪いですが、いろいろとケチを付けられました。
勁がわかっているか? みたいなことを聞かれて、わかりません、と答えましたけど、見てわからん、手を合わせてもわからんもんには、言葉で答えてもわからんだろうと思ったので、わからんと答えたのです。
というか、それ聞く? 聞かんとわからん? と、ちょっとショックでした。
ギターの師匠が、耳が遠くなって、チューニングが合わなくなった時と同じくらいのショックでした。
恩人に教えてもらっていた頃と、現在の私では、全然別物になっておりますが、恩人のレベルは、昔のままです。
あら、気付いてない? それとも気づいていないふりをしている? 認めたくない? みたいなことを、つい考えてしまうのです。
恩人は、この人だけではないわけでして、その他の恩人達は、おおむね私の変化を肯定的に評価してくれております。
道場の先輩なんか、マウントを取るのはやめて、すっかりリスペクトしてくれています。私の言うことを曲解して人に伝えるのには閉口してますが、それは別の話。
別に、恩人に、私をリスペクトして欲しいとかいう気持ちはないのです。
恩師として偉そうにしてもらって、全然構いません。私としても、生徒とか後輩として、ごろにゃーんと甘えてる方が楽です。
でも、なんか、私を貶めたいという気持ちが見えて、肝っ玉が小さいというか、ケツの穴が小さいというか、イヤーな気持ちになるんですよね。
そういえば、この恩人には、昔、忠告されたのです。
「君は、きっと上手になる。その時、やっかんで足を引っ張ろうとする奴がきっと現れるから、気をつけよ」
まさかねー、と思ってましたが本当に現れました。まさか、本人だったとは。
恩人と争って勝ちたいとか、認めてもらいたいとか、見返したいという気持ちは、まったくありません。願わくば、お互いに切磋琢磨したい。
でも、ちょっと無理かなーと感じてます。
そういうわけで、得意技の、感謝しつつ、静かに去る、という作戦を継続することにします。
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