我が家の教育方針は教育勅語に準ずる話

旅行

中学生になる娘が、入学の際に学校に持っていくアンケートみたいなのがあるのです。

通学ルートや、趣味や特技、交友関係、学校に知っておいてほしいことなどの他に、「家庭での教育方針」の記載欄がありました。

「パパ、なんて書いとけばいい?」と妻に聞かれたので、

「教育勅語に準ずる、とでも書いとけば?」と答えると、本当にそのように回答しておりました。

早寝早起き、整理整頓と書いても良かったのですが、我が子はそのあたり、全然、まったく、ちっとも、これっぽっちもできていないのです。

親である私もだらしないですからねー。早起きだけは実践できておりますが、整理整頓は苦手です。

しかし、教育勅語は冗談ではなくて、我が家のリビングの壁には、教育勅語が貼り付けてあります。たまに私が朗読します。(御名御璽と書かれた筆書きの教育勅語は、フリガナがなくて読めないので、別の解説プリントを読みます。)

娘はサッパリ理解してないかもしれませんけど、まあ、おいおいわかってくるでしょう。

教育勅語の謄本は、以前に倫理法人会で講話していただいた先生にもらったものです。本当は額縁に入れるようなサイズですけど、押しピンでとめて不敬なかんじですけど、まあいいや。

それまで教育勅語ってあんまり知りませんでした。

日本男児は帝国軍人として国に命を捧げよ! という内容かと思っていたら、解説を見たら、全然そんなことは書いてなかったです。

親子兄弟夫婦朋友みな仲良くして、勉強や仕事に励んで、人格を磨いて、世のため人のため生きなさい、災難が起こったら真心で乗り越えましょう、みんな頑張れ、天皇の私も頑張る、みたいなことが書いてあって、なんか馴染みのある文章だなあと思ったら、少林寺拳法の練習前に唱える聖句誓願信条にも同じようなことが書いてましたね。宗道臣先生、教育勅語を参考にしたんやな、と思ったものです。

教育勅語を作ったのは明治天皇ですから、日本少林寺拳法よりは古いですね。実際に文面を考えたのは井上毅という人だそうで、これは竹田恒泰先生のYouTube番組「竹田学校」で知りました。

娘の小学校の研修でも、現在の教育基本方針より、教育勅語の方が普遍的でわかりやすいというような話を聞いたような気がします。海外の国々の小中学校では、日本の教育勅語が採用されていることも多いとも聞きました。もちろん現地の言葉に訳されているのでしょうけど。

日本人でも明治時代に作られた文体そのままでは、朗読しても良くわからないので、現代風に書き直して学校で配って、たまには唱和すればいいのになあと思います。ラップ風とかなら、子供も面白がるでしょうよ。

聖書の言葉を唱えて、アーメンといっているより、日本人になじみやすいと思えます。早寝早起き整理整頓なんて生活習慣の細かいことなんか書かれてませんし。ハッキリ言えば、当たり前のことしか書いてない!

これを明治時代の教育の指針にしたところ、明治天皇は偉い人やったんやなあーと思います。

先日、串本に旅行に行った際、エルトゥールル号遭難の資料館に行きました。明治天皇に謁見しに来たトルコの親善大使たちが、帰りしなに台風に遭って、乗っていた軍艦が紀伊大島の先っちょの岩礁にぶつかって、爆発して、500人亡くなって、助かったのが60人くらいだけだったそうです。

もっと沖合かと思っていたら、そぐそこです。台風でこんな近くまで、流されてきたんでしょうね。こんなところで大爆発って、島民もそりゃビックリしたことでしょう。

夜中の非常事態に、まっさきに救命に奮闘したのが串本の漁師さん達だったそうです。岸田首相の爆弾事件の時も和歌山の漁師さんが防いだんですよね。漁師は偉大だ。

そして、明治天皇がすぐに救助の手配を命じたそうです。軍艦が医師団を載せて東京から緊急出動して、のちに助かった人たちをトルコまで送り届けて、それが国際親善になり、100年後のイランイラク戦争の際に、トルコが旅客機で日本人を脱出させて救ったというお話につながるのですね。

映画「海難1890」も、見ました。なんでこんなわかりにくいタイトル? 私なら「海難エルトゥールル号」とか「日本とトルコ100年の奇跡」とか「南海で海難トルコ軍艦を救え」とか、もうちょいわかりやすくするけどなあと思いましたが、それはさておき、娘も学校で習ったそうで、その現場にこれたのは良かったと思います。

で、なんと教育勅語が下されたのも1890年(明治23年)なのです。10月30日に下されたということです。エルトゥールル号の遭難が、9月15日。

教育勅語が発布される前から、日本人は世のため人のために動くという気質があったっちゅうわけです。

娘は小学校に続いて、キリスト教系の中学校、高校に進むことになりましたが、教育勅語にも表れる日本人の良さを受け継いで成長してもらいたいと思います。

大島にある灯台。手前の管理棟に、エルトゥールル号の被災者が駆け込んできたそうです。歴史的建造物です。ここのガイドをしてくれたおじさんが、なかなかに凄かったです。

コメント