中野由哲著「武術の根理 何をやってもうまくいく、とっておきの秘訣」(BABジャパン)を、太極拳の先輩からお借りしまして、読んでみました。
「根理」と書いて、なんと読むのか? ねり? こんり? げんり?
読み方はよくわからないですけど、難しそうなタイトルとは裏腹に、本の中身は読みやすかったです。今風な軽い口語調で書かれているので、ブログでも読んでいるように、スイスイ読むことができました。
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著者は古伝体術心水会という道場を主宰されているそうで、古武術や合気道、空手、太極拳、剣術、柔術、居合など、いろいろ研究しておられるとのことです。
武術の「型」には共通の体の動かし方があるということで、それらを学んで稽古していると書かれておりました。
この本は、初心者向きというより、あるていど武術修行をしていて、壁にあたっている人に役立つのではないかと思いました。(もしくは壁にあたっているのに気づいていない人の目を覚ますといいますか。)
たとえば、筋トレでムキムキに鍛えているけど、なんだか上手く技がかからないとか、パワーで押し切って試合には勝ってるけど、こんなこと60歳まで続けてられないと不安に思っている人におすすめです。
または、型は一通り覚えているけれども、いまひとつ体が上手に使えてるように感じないし、こんなもん実戦で役に立つのかいなと疑問に思ったりしている人にも。
そういう段階の人が読むと、目からウロコかもしれません。
簡単にまとめると、武術の根理とは、人間本来の自然な動きで、優しく相手に添うことだよ、という内容です。
居合や合気道、太極拳の動きを例に、体の使い方をやさしく解説されており、空手や柔道も同じ原理が働いているのですよ、というように書かれております。
私も、太極拳を知らなくて、少林寺拳法だけ練習をしていた頃は、相手に添うなんて感覚はまったくなかったです。
相手の動きや体勢なんぞ無視して、おりゃーと力いっぱい頑張っておりました。
少林寺拳法の関節技って、痛みが激しいので、力任せでも、入部してきたばかりの1年生にはかかるんです。
たいてい、急所となるツボを攻めながら、痛みでのけぞったところを関節をがっちり固めて、体勢を崩して放り投げると言った感じです。
しかしこのやり方、相手も慣れてくると、痛みに耐性もついてくるし、手首とか粘ってくるもんで効かなくなってきます。
こうなると、次は、当て身を入れながらって話になりますが、この本でいう「武術の根理」の働いていない、我儘な力に頼ってしまうことになります。
少林寺拳法の技がアカンという話ではなくて、達人になれば、優しい緩やかな動きで、相手が痛みを感じる前にすっ転ばしたりできるようなのですが、学校のクラブじゃ、その程度だったという話です。
学校では、サーキットトレーニングと乱捕が主な練習でして、型や柔法は、うわべの形ばかりという練習になっておりました。(それでも三段は取れましたが。)
空手や柔道でも、勢いと根性だけで頑張っていると、そうなるんじゃないでしょうか?
こういう自分勝手な動きは、武術として成り立っていないという話なのです。単純に、力の強い者、動きの速い者が、弱い者、遅いものに勝つという、底の浅い話だったのでした。
じゃあ、どうやったらいいんだ、という答えが、「型」なのですね。
昇段試験のために形ばかりになっている型じゃなくて、心や意識を伴った、体の使い方の訓練こそが「型」であって、それこそが武術が昔から伝承され続けてこられた秘訣なのであります。
型とは、人間の本来の自然な動きを、緊張したり硬直しがちな戦闘状態にあっても引き出せるようにする訓練方法なのだ、というようなことを、この本には書かれておりました。
私は太極拳の学習の中で、なんとなくそんな気もしていたし、この本に書いてある内容はよく理解できるのですが、さて、それが頭でわかっていても、体が自然と動くかといえば怪しいところです。
太極拳の型(套路)は、長年やってはおるのですが、まだまだですね。
太極拳の推手の練習は、まさに、相手に添う訓練というか、体の動きが根理にそっているかを確認するためのエクササイズになると思うのですけど、まだまだ対抗心が出たり、固くなったりしてしまいます。
修業の道は長いです。
蛇足になりますが、相手の事を考えず、自分勝手に動いているだけでは、いくら頑張ってもダメというのは、武術だけの話ではなくて、人間付き合いや商売など、なんでも同じだなあとも思ったりいたしました。深い話です。
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