太極拳の指導をはじめて気づいたこと

あまり太極拳に関心のない妻でしたが、剣は習ってみたいといいました。剣は、私もまだ知らないので、刀と、棍を、一緒に練習しています。

刀は、私が習ったはしから伝えるので、私も理解が深まります。

棍はちょっと前に習ったことの復習になり、教えることで新たな気づきがたくさんあります。教わってないことでも、これはきっとこうだ! という感触があります。

妻もなんだか、太極拳ぽい体の使い方ができてきて、武器から取り組むというのも、なかなか良いアプローチかも? と思えます。

老架式は、ご近所のおばさん方に教えております。週一回では覚えるのも難しかろうと、補助教材のテキストを作っており、テキスト作成のために、勉強することも多く、だんだん太極拳の専門家みたいになってまいりました。

生徒さんたちからどう見えているんだろうと思い、ビデオカメラで、自分の姿をうしろから撮影してみると、いろいろ粗が見えますね。

後ろ姿って、イメージに残っている先生の後ろ姿と、脳内比較がしやすいです。ああ、違っているなあ、と気づけます。

後ろ姿って、鏡でもなかなか見えませんものね。ちょっとした発見でした。

これまで、多くの先生に学んできて、以前は皆同じように上手に見えておりましたが、このごろは、先生のレベルの差が、とんでもなくあるなあ、と見えてくるようになりました。

自分自身のレベルが上っていることもあるでしょうし、最高峰に触れられているので、見る目も肥えてきたのでしょう。

レベルの違いというより、方向性がなんだか独自というか、とんでもない方にいっていたり、ものすごく狭く偏っている部分だけでご満悦になっていたり、いやー、この世界、デタラメがまかり通っているなあと、改めて思います。

レベルが違うだけなら、まだ向上していく可能性もあるでしょうし、目指している先は同じなので、学ぶ方もステップアップしていけますが、行き先がとんでもない方向だと、学べば学ぶほどに狂ってしまいます。

私の学ぶ態度としては、目指す方向に合っている先生達の教えは、素直に学び吸収しようと努めています。

全然ちゃいまんがな、という先生の教えは、素直に聞くふりをして、自分の修行の成果が通用するか、試させてもらっています。実際に、武術として人と手を合わせるときは、自分の方向性なんか関係ないですものね。どんな相手でも、しっかりと太極拳で向かわねば。

以前は、なんだか変なことを学んでしまった、調整のために帰ってから套路を通しておこう、ということをしていましたが、今は、どんな人に対しても、太極拳で有り続けようと努力しているので、その時その場が稽古になっております。套路練習は、かかわりなく毎日コツコツと。

そんな日々です。

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