太極拳の抱球と達人の定義

抱球の感覚が出てきました。

「抱球」(ほうきゅう)というのは、両手の間に球があるというイメージです。簡化二十四式太極拳の最初の「野馬分鬃」で、「抱球を作って、左足を出してー」とやりますので、太極拳をやっている人にはおなじみの言葉でありましょう。

日の出を見ながら站樁功をやっていて、不意に「あ、抱球だ」という感覚がでました。

これまでも、「抱球」にはなじんでいたし、ボールを抱くイメージをして、わかっているつもりでしたが、本当に感覚として感じたのは初めてです。

抱いている球は、まん丸でした。

両手の間だけではなくて、胸とお腹にも挟まって、スッポリと収まっている感じです。

先日に得た新感覚、蜂の胴体、アゲハチョウの幼虫、伝統的には亀の背中というそうなのですが、その感覚を得たことで、抱球をようやく理解しました。

太極拳を習って最初から聞いていた「抱球」、知っているようで、わかっていなかったんだなあー。30年以上も。

太極拳をしていると、そういうことって、多いです。左脳でわかっていただけのものが、右脳で理解できる瞬間があります。

そんな時、あっ、達人に一歩近づいた! と思います。

しかし、右脳に浸透してもまだ不足で、おそらく本当にわかるということは、第二の脳といわれる腸も理解する必要があるのだろうと思います。(腸が理解すると、屁が出ます。)

さらにいえば、眠っていたDNAを発動させるように、意や念が細胞の奥の奥まで達して、それが達人の境地なんじゃなかろうかという気がしてきました。

体温を上げるとか、目線で敵を屈服させるとか、飛んでくる弾丸をよけるとか…

私がときどき書いている「パラダイムシフト」は、まだ左脳の話です。ヘンテコな思い込みがぶち壊され、正しい情報に書き換えられた、というだけのこと。

右脳や腸が理解するには、言葉だけではだめですね。

体を使って、環境になじんで、とことん本当の世界に没入して、ようやく気付くものだと思いました。

達人への道は、まだまだ長いです。

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