年末年始に立て続けに親戚が亡くなりまして、お骨拾いも二度いたしました。
小学一年生の娘も連れていきまして、この幼いときから人の死というのを体験できて、良かったかな? という気もします。
目次
火葬場の年末年始
そのうちのお一人は、年末年始といいますか、まさに元旦に亡くなられました。連絡があったのが、早朝の5時です。
あけましておめでとうと言う前に、いきなりお悔やみです。
故人のお通夜が1月2日、告別式が3日でした。
正月の3が日でも、営業していたのですねー。(ちなみに大阪府寝屋川市です。)
葬儀社は民間ですから熱心な会社は休まず営業しているでしょうが、火葬場は通常、自治体が運営していますので、お正月はお休みというところが多いようです。
火葬場の休日は、全国共通でもないらしく、元旦だけ休みとか、3が日は休みなど、様々のようですので、葬儀屋さんに確認が必要ですね。
今回は、たまたまラッキー?だったということですが、お正月に亡くなられた場合は、火葬の都合で、お葬式の日取りを遅らせるということもあるようですよ。
正月休み中に、亡くなられる方が多くて、休み明けの火葬場が手一杯という場合もありえます。
その際は、御遺体をそのまま室温で置いておくわけにはいきませんので、保存処置を取らねばならぬケースも出てくる可能性はありますね。このあたりは、葬儀屋さんと要相談です。
火葬場の仕組み
火葬場って、どうなっているのか?
私は、お葬式の最後までつきあわせていただいたことが何度もありますが、だいたいこんなかんじです。
霊柩車と、親族一同が火葬場につきますと、まずは、ロビーに入ります。椅子とか机とか、お茶の給湯器とかある部屋です。
そこで、お茶とか飲んだりしているうちに準備が整って、最初のドアがあいて、お見送り一同が入ります。
大きな殺風景な部屋(エントランスホール)であり、棺桶を載せた台車もスタンバイしています。
部屋の向こうには、「○○家」と表札のかかったドアがたくさん並んでいます。
そちらに進むと、読経とお焼香があります。(告別室)
読経のあと、またドアが開きまして、更に奥の部屋に進みます。(炉前ホール)
そこからさらに、棺桶が入るだけの小さなドアがあきまして、そこが焼却炉の入り口です。炉室です。
炉室まで進むのは、仏様だけです。残されるものは合掌して見送ります。
俗世の肉体が焼けて、白骨になるのに約1時間20分ほど。その間、遺族は控室でサンドイッチとコーヒーなどいただきながら待ちます。
告別式を行った葬儀会館に戻って、会食などする場合もあります。行ったり来たりになりますので、自家用車の場合は、交通事故のないように気をつけましょう。
焼き上がった時間に再び集合して、お骨拾いの部屋(拾骨室)に入りまして、お骨拾いとなります。
仏様は、骨壷に収まって、その後、初七日の法要を続いて行うということが、多いようです。初七日って、本当は、7日後のはずですが、なにかと忙しい現代社会では、その日のうちにというのが主流のようです。
檀家になっているお寺に移動したり、告別式場に戻って行なったり、いろいろです。
お骨拾いのマナー
お骨拾いまでつきあうとなると、親族か、かなりの身内になりますね。
ですので、そんなに気にするほどのマナーと言うほどのマナーはないように思いますが、お骨拾いの作法があります。
写真撮影は、いずれも禁止でありましたので、写真はありません。
お骨拾いの箸
白骨となった仏様の骨を最初に拾うのは、喪主ともうひとり。二人で箸を使って、足の骨から拾います。
箸は、方っぽは竹で、もうかたっぽは木でできていて、長さも違っております。あれ?セットになってないよ、と思ってしまいますが、それで正解です。竹と木は接ぎ木できないので未練なくこの世におさらばできるという意味だそうです。
あとは順番に、お焼香の順番のようなかんじで、血縁関係の濃い人から、骨を拾っていきます。足から頭の方に一人づつ拾っていきますけど、人数が少ないと、何回も回ってきますね。
骨壷はそんなに大きくないので、全部の骨を入れられるわけでもないです。(関西です。関東方面は全部入れるそうです)
大きな骨は、係の人が砕いてくれます。
年齢や、病気の具合によって、骨の様子も違うようです。
昔、34歳でなくなった友人のお骨拾いをしたことがありますが、ものすごくガタイが良かったので、骨格の標本みたいな遺骨でしたが、お年寄りの骨は、頭蓋骨や大腿骨など、大きな部分しか判断つかないですね。
骨粗鬆症だと、あんまり残らないんじゃないでしょうか。
骨壷が一杯になってきたら、喉仏の骨を、上に乗っけて、最後に、頭蓋骨のてっぺんの骨を、被せます。
最後の頭蓋骨も、喪主ともうひとりが協力して箸で拾います。
骨壷を包んでくれるのは火葬場の係の人です。だいたい係の人が案内してくれますので、言われるがままに進めていけば、間違いありません。
お骨拾いと子供
子供によっては、怖がったりするかもしれませんので、無理に立ち会わせなくてもいいと思います。
うちの小学生の娘は、人体に興味があって図書館で本を借りたりしていたものですから、これぞ本物!というかんじで、お骨をじろじろ眺めておりました。
学校の図画工作の時間に、きっと絵にかくと思います。
膝にチタンの人工関節が入っていて焼け残っておりましたもんで、あれなに?なに? とか騒いだりして、これはちょっとマナー違反でした。
火葬の着火スイッチは誰が押す?
告別式のあと、仏様と親族一同が火葬場に移動して、もういちどお経を唱えてもらって、お焼香をして、いよいよ焼却炉の中に棺桶が入っていきますね。
そのときに、どびっくりしたのが、斎場の職員が、遺族に点火ボタンというか、火入れのスイッチを押すよう促したことです。
喪主である故人の娘さんは、え? まじ? という反応。
娘さんは、ボタンを押したあと、泣き崩れておりました。
私は何度かお骨拾いは経験しておりますが、遺族が点火するというのは、初めてです。まだ新しい施設のようなのですが、最近の風潮なのだろうか?
私はどうも、死刑囚のボタンを押す刑務官とか、核ミサイル発射ボタンを押す大統領を連想してしまいまして、私が喪主だったら、いやだなあと思った次第です。
もしも万が一、炎の中で生き返ったらどうするんだ? なんて思ってしまったり。
ちなみに、和歌山県紀の川市の火葬場でした。
点火ボタンを押すのは遺族か職員か?
次のお葬式は、滋賀県大津市でありました。
こちらの火葬場も山の上の、広くてキレイな近代的な建物でした。
親族だけのお葬式が粛々と進み、炉室の中にお棺が入っていき、一同、合掌するなか、自然な流れで、職員さんが点火。
私は、また喪主に火をつけさせるんかいな、とヒヤヒヤしていたので、職員がボタンを押すのを見てホッとしたのですが、ほかの親戚たちは、頭を垂れて合掌しておりますから、ボタンのことなんぞ、気づいてなかったと思います。
でも、このほうがいいですよねえ。
お葬式で、涙ながらにお棺に花を入れたりして、ひといきついて、あとはサバサバとお別れ、という気分になっているというのに、もういちど感情を揺さぶりにかけることはないと思うのですよ。
もしかすると愛する人を自分で焼きたいという人もいるのかもしれませんが、私は嫌ですねえ。
遺族を泣かせる演出
こちらは、私自身は体験していませんが、聞いた話。
葬儀屋さんが、遺族に、「さあ、最後のお別れです、声をかけてあげてください! もっと大きな声で! 思いのたけを込めて!」とかいって、なんだか無理やり泣かせる演出があるようですね。
これも、嫌ですねえ。どこかの国の泣き屋じゃあるまいし、涙は自然とほろほろとこぼれるくらいがいいと思います。
ちなみに、この度のお葬式の故人は、10年以上の入院生活で、もうほとんど意識のない状態であり、もうあぶない、さあ、いよいよ、という状態が何度もあって、そのたび全員集合でお別れの声をかけていたようです。
やっと、とういうか、ようやく、といったかんじでありました。
というわけで、家族の誰も涙も流さず、やれやれ、ホッとした、という表情であったのでした。合掌。
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