少林寺拳法と太極拳 練習方法に違いがあった

武道・スポーツ

最近は、太極拳の練習を、公園の青空教室も入れると週に5日、一人練習も入れると、ほぼ毎日、修行しております。教えていただいている先生は、8人になりました。まあまあ、太極拳漬けの日々といっても、いいんじゃなかろうかと思います。

太極拳を始めたのは、20歳頃のときですが、その頃は、2、3年ほど学んだだけで、学習を再開したのが45歳頃、推手を学びだしたのは、ここ2年くらいです。

まだまだ実力は養われておらず、道半ばというより、足を突っ込んだばかりというかんじではあります。

目次

少林寺拳法に慣れていた私にとって太極拳は異質でした

太極拳を学び始める前の高校一年生から、30代なかばまでは少林寺拳法を修行しておりました。宗道臣開祖が日本で広められた金剛禅少林寺拳法です。最終の段位は三段です。(四段は落ちて、香川県の本山まで再受験しに行く根性がなくて諦めた)

太極拳と少林寺拳法では、もともとの発祥は、中国の嵩山のあたりだそうで、技術的には似ているところもあります。しかし、違いもたくさんあります。

同時並行で学んでいたときは、ぜんぜん違う武術だと思っておりました。少林寺拳法は力いっぱい、猛スピードで練習しますけど、太極拳は、力を抜いてゆっくりです。

少林寺の技は、ひとつひとつ、意味がわかりやすいですが、太極拳は、何をやっているのか、いまいちよくわかりません。

少林寺拳法の技を太極拳の動きにあてはめて、たぶんこれだろう、というふうに認識しておりました。

で、その認識は、一部は当たっていたりもしますが、違っていることもあります。というか、太極拳は、ひとつの動作に、たくさんの意味があるのです。少林寺拳法の技が、一つの攻撃に対する返し技として、技に一つ一つ名前がついているのと、えらいちがいなのです。

少林寺拳法では、内受け蹴り、とか、逆小手、だとか、技のひとつひとつに、わかり易い名前がついてます。内受け蹴りは、相手の突きを内側に受けて蹴り返すということだし、逆小手は、掴んできた相手の手首を逆に返して投げる技です。

ところが太極拳は、技という概念ではなくて、動作に名前がついています。単鞭とか、雲手とか、白鵝亮翅だとか。

一つの動作でも、相手の動きに応じて、突き技だったり蹴り技だったり投げ技だったり押し技だったり極め技だったり、流動的に変化します。こう来たらこう返す、という決まりがないのですね。だからナントカ突きとか、ナントカ蹴りという名前じゃないのです。拳とか脚という字が入っていても、パンチ、キックだとは限らないのです。

これが私には意味不明でして、長らく理解できませんでした。

練習方法の違い

太極拳は、練習方法、修行のプロセスが、違っているのだな、と、気づいたのは、最近のことです。

私が学んできた少林寺拳法の学習方法は、こんなのです。

まずは、基礎体力づくりの走り込みや筋トレ。基本の突きや蹴りの練習。受け身や足運びの練習。相対での技の練習。法形(型)の練習(試験対策)。学科の勉強(試験対策)。大会のために演武の練習。大会のために乱捕の練習。

町の道場と、学校のクラブとの違いはありますが、いずれにしても、一番時間を割いて練習するのは、相対での技の練習だと思います。

相対練習は、まさに、敵がこう攻撃してきたら、こう返すというパターンの反復練習です。敵が右拳で上段を突いてきたらこう返す、中段回し蹴りにはこうする、順手で手首を握ってきたらこう、逆手ならこう、というふうに技が成り立っていて、繰り返し練習します。段位が上がっていくほどに、バリエーションが増えていきます。難易度も増します。危険技が増えます。

対して、太極拳の修行の順序はこんな感じです。

站椿功で立ち方、姿勢を学ぶ。基本功で太極拳の手足の動かし方や歩き方を学ぶ。套路を繰り返して武術として使える動きを練る。推手で勁とか気とか虚実を実感する。対練(二人で行う套路)。散手(自由乱捕みたいなもの。私はまだここまで進んでません)

カルチャーセンター的な教室には、前の方をすっ飛ばして、いきなり套路をやって、推手はやらなかったりで、なんだか太極拳のモノマネ、というところもあるようですが、伝統的な修行の順序は、だいたいこんなかんじでしょう。

一番重点的に行われるのが、少林寺拳法では相対での技の練習ですが、太極拳では套路と推手です。

私が不思議に思ったのが、少林寺拳法で練習していた、「こうきたら、こう返す!」 というパターン練習が、太極拳にはなかったことなのです。

で、太極拳は、実用的でない。戦えない。でも、まあカッチョええし、健康的で年老いても続けられそうだから、やっとこ、と思っておりました。これが誤解だと気づいたのが最近です。

太極拳のカリキュラムに、パターン対応の練習がないのには、ちゃんと意味があったのです。

少林寺拳法の学習法への疑問

実は私は、少林寺拳法のパターン練習も、ちょっと疑問に思っておりました。

相手の攻撃を視認して、受けて反撃するという練習は、敵が普段練習している通りに攻撃してくれれば反応できますが、ちょっとイレギュラーなことをされると、たちまち受けらなくなります。

少林寺拳法は動きが早いので、頭で反撃法を考えている間はありません。脊髄反射になるくらいまで訓練するわけですが、刷り込まれたパターン以外の動きに反応できないのです。

これを解決するためには、できる限り多くのバリエーションを知り、その状況に応じた反撃を瞬時に返すという、膨大なパターンの反復練習をするということになります。

でも、これ、無理です。

私、いちおう三段まで取りましたが、そのレベルまで至りませんでした。攻撃を突きだけ、とか、蹴りだけ、関節技だけ、というふうに限定してもらえば、なんとか反応できましたが、なんでもアリにしたら、とても無理。

極真流の、胸板にボコボコ当ててくるとか、ローキックをバシバシ振り回してくるという、少林寺拳法にはないような攻撃にも対応できませんでした。ボクシングみたいなリズムで来られるのも、守りに徹していたら受けきれるもんじゃありません。

で、乱捕となると、勝つためには、相手が攻撃してくる前に、こっちから手を出していくというスタイルになります。先に動いて、相手を振り回し、すきを狙って、突きや蹴りを入れていくかんじです。普段やっている、相手が攻撃してきたから受けて守るという練習は、なんなのだ、ということになります。

まあ、修行が足りんのじゃ、と言われれば、何も言えなくなるのですが…・

実際に護身で使えるほどのバリエーションを身に着けようと思ったら、どれだけの技を体に覚え込まさねばならないのだ、と途方に暮れます。人生が300年くらいないと、無理! という気がします。

太極拳は体の使い方を学ぶ

太極拳の学習は、対処の方法を学ぶというより、自分の体のあり方を重視している気がします。

一番最初に学ぶ站椿功は、立身中正や、虚領頂勁といった、太極拳の要求を満たした体のあり方を作る訓練です。

ここをしっかり学んだ後、基本功や套路で、太極拳の動きを体に練り込んでいくかんじです。

そうして太極拳の体の動かし方が自然とできるようになれば、敵がどのように攻撃してこようとも、あれこれ考えなくとも、少ないパターンで対応できる。だから、いちいち、こう来たらこう返すというような限定的シチュエーションをバリエーション豊かに覚えるような練習はない。相手の動きに反応する能力は、推手で養うといったかんじです。

推手をやっていると、相手の力の方向とか重心の変化を察知することができるようになり、自分が有利となる体勢をとれるよう反応できるようになります。(手を触れてないといけませんが)

 

で、少林寺拳法と、太極拳、どちらが実用に使いやすいかといえば、実は太極拳のほうじゃなかろうかと考えております。パンチやキックなど、今日の現実社会で、出番はそうそうはないですが、太極拳の体の動きは、日常的にも応用がききやすいです。拳やつま先でなくとも、体のどの部分でも対応できるようになりますので。

少林寺拳法でも、立ち方とか足の運び方は最初に習いますが、太極拳ほど細かい要求はなかったです。筋トレをする人はいましたが、体の芯を作るような立ち方の練習をしている人はいなかったです。

少林寺拳法もベースは中国武術なのだから、本来はそういった細かい要求はあったと思うのですが、日本での普及のため、上達がわかりやすいように修行できるように、体系立てたときに、そういった辛気臭い部分は、カリキュラムから省略されたのではなかろうかという気がします。

でも、短い人生のうちに、本当に強くなろうと思ったら、一番基本的な部分、体と脳みそを武術向きに作り直すという初期の修行は、大事だなあと思うのです。

少林寺拳法にあって太極拳にないもの

今日の、現実社会で必要がないから失伝したのか、実はあるけれども、一般的に教えられてないのかわかりませんが、太極拳ではトドメ技を学ぶことがないですね。これはちょっと物足りなく感じました。

少林寺拳法では、技の締めは必ずトドメがあります。

柔法では、敵の関節を極めて投げた後は、地面におさえこんでトドメのパンチやキックを入れたり、帯で縛り上げたりします。剛法では、敵の攻撃を受けた後は、必ず、突きか蹴りを急所に打ち込んで残心のポーズをとるか、更に踏み込んで投げ倒したりします。

太極拳の練習では、相手を受け流して放り投げたり転ばしたりはしますが、そこまででして、最後まで極めるということを練習しないです。というより、転ばないように、腕を支えてあげたりするのが習わしです。本場の先生の用法紹介の動画なぞを見ていても、たいがいそんなかんじですね。

これじゃ相手は、またしつこく襲ってくるじゃないか、なんか中途半端やなあと、少林寺拳法に慣れていた私は、そこは不思議に思っておりました。

それと、もう一つ、少林寺拳法では、投げられたときの受け身を、徹底的に仕込まれますが、太極拳では、受け身の練習をしたことがないです。投げ技があるのに、受け身がないって、これ、具合がわるいんじゃなかろうか。

先程も書いたように、投げた人が、投げられた人の手を掴んだりして、助けてあげるというのが、太極拳の文化のようですが、それはいかがなものかとは思います。

私は、コンクリートの上で自転車を飛び越えて、前転して立ち上がるくらいの受け身はできていました。48歳の今はさすがにもうようしませんが、そんな経験があるので、太極拳で投げられるときの恐怖心はあまりありません。

だから上手な人には、どんどん投げていただきたいと思っています。先生方も、それは感じてくれているのか、他の人にはしないような投げを、私にはバシバシかましてくれます。ありがたいことです。

受け身の自信のない人だと、推手で投げられるのは恐怖だと思うのです。思う存分、推手の訓練をするんだったら、受け身の練習は必要だと思います。

(太極拳で投げられると、重力がなくなって空中に浮き上がる感じなので、受け身はしにくく、練習通りに受け身はできないという面はありますけれど。)

他武道について

私があと知っているのは、学校で習った剣道と柔道という日本の武道くらいなのですが、どちらも打ち合い、投げ合いの練習が中心でした。武術というより、競技スポーツですね。

礼儀作法や、心構えというところは学べたので、青少年の教育にはいいと思いますが、護身の術と考えると、心もとないような気がします。

立ち方の真髄みたいなものは、伝統空手や合気道、古武道などのほうが厳しく教えられるのかもしれません。(経験がないので知りませんが)

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