長年太極拳を練習していても、サッパリ一向に上達しない人って、言葉が理解できていないのだと思えます。
虚霊頂勁だとか中定だとか、いちおうなんとなく太極拳用語は知っていても、意味が分かっていなかったり、勘違いしていたり、極あさっぺらい知識だったり。
太極拳用語は、初心者を煙に巻くのに使う言葉であって、言っている本人は、自分には関係ないと思ってるんじゃなかろうか?
武術は見取り稽古が大事、後は数をこなすこと、体で覚えること、理屈はいらん! という考え方もあろうかと思います。
見取り稽古も数をこなすことも大事ですが、それだけだと自己流に陥ってしまう可能性が高いです。
低いレベルの段階で、頭打ちになります。
他の武道や格闘技、スポーツでもダンスでも音楽でも、技術の習得には言葉を尽くすんじゃないかと思います。
最新鋭の軍事技術は、見取り稽古じゃ習得できないでしょう。自己流でミサイル扱ったら、えらいこっちゃ。
ジャズ音楽のように感性だけでアドリブできてしまうジャンルもありましょうが、それだと一部の天才しか活躍できないのでは?
ジャズも理論やメソッドってありますものね。私は勉強したことないけど。
太極拳の特異なところは、用語が漢字ということです。
フランス語とかイタリア語とかロシア語のスポーツや格闘技は、用語をそのまま使ったとしても、意味は日本語で解説されましょう。
太極拳用語は漢字なので、なんとなく意味が分かるような錯覚を起こします。なので、あんまり深く探求しないで、間違えたイメージで理解したつもりになってしまうんじゃなかろうか。
実際のところ、昔の支那の言葉である太極拳用語は、日本語の意味とは違うし、現代中国語とも違います。
わかっている人から、ちゃんと習わないと、絶対にわかりません。
私は師に恵まれてラッキーです。
ちゃんと習っても、体感を伴うものなので、練習を重ねないとわかりません。
まず言葉で浅く理解し、練習を積んで体感で閃いて、再度同じことを言葉で学び、ようやく真相がつかめる、そんなかんじです。
わかるまでには相当に時間がかかりますね。
そして、「わかる」ことは「できる」ことです。
イエマーフェンゾンは、どうするああすると、ノタノタやっている人は、わかってないということです。
理論理屈を体感付きで理解できれば、どれもこれもおんなじだ! ていう気分になれます。
私はまだ、どれもこれも同じレベルまでには至っておりませんが、まあ、だいたい同じ?
学習と修行を続けていけば、もっと深層を知ることになるでしょう。
それで、私も人に教えるときは、太極拳用語で煙に巻かないで、体感に届くような説明に工夫を凝らしております。
初心者と経験者、運動能力、言葉の理解力など、相手によって受け取り力がまるきり違うので、ひとりひとり伝え方を変えます。
大人数の教室では無理ですね。
伝承って、こういうことかなあと思った次第です。
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