武術の型(形)は使えるのかという考察

太極拳の練習といえば、そのほとんどが「形」であるところの套路の練習です。あとは基本功と、推手がちょろっと。

他の武道、武術ではどうなんでしょう。

私の経験では、剣道と柔道と少林寺拳法くらいしかないのですが、あんまり形の練習はしてませんでした。

剣道の形は、習ったような気もしますが、全然覚えておりません。柔道は形そのものを知らないです。少林寺拳法は、昇段試験のために一通り覚えたし、日頃の練習でもやってましたが、メインは相対練習でありました。

空手は、どつきあいメインのフルコンタクト系と、オリンピックに出場するような型メインにわかれるようですね。こちらは詳しくないですけど。

で、「形は使えない、練習したところで強くなれない」という意見をよく聞いてきました。

私自身、形の練習はわりと好きだったのですが、心のなかでは、実際にどつきあいの稽古に時間を割いたほうが強くなれるよなあ、と長らく考えておりました。

しかし、太極拳の練習を真剣にするようになってから、考えは変わってきました。

太極拳の世界でも、「套路なんかやっても使えない」という人は多いです。「力は使わない」といいながら、馬鹿力の応酬をしている人もおられます。

そんで「太極拳は最弱の武術」と自虐しながら練習する人さえいたりして、まあ、そんなひとは養生のつもりでやっているので、どうでもいいんですが、明らかに間違い、認識不足、思考力学習力想像力に欠けている老朽化した脳みその人です。

形が使えないというのは、正しい形を知らなかったり、知っていても使えるほどに練習していないということでしかありません。

「パソコンなんて役に立たない! 鉛筆と電卓と黒電話の方が強い!」というようなものですね。

もうすこし高尚な例だと「数学の方程式なんて役に立たない! 足し算引き算掛け算の練習をしていたほうが強い!」というようなものです。

まあ、たしかに停電とかの非常時は、パソコンより鉛筆と紙のほうが役に立つかもしれませんし、算数の基礎をしっかり理解していれば、方程式を知らなくても、膨大な時間をかければなんとかなるかもしれません。

しかし、先人が工夫して、研究して、試行錯誤を経て効率を極めて、一部の天才でなくとも便利に使えるようにしたのが、方程式だったりパソコンだったりするのですよね。

武術の形とはそのようなものだと思います。

技術は稚拙でも、筋力とスピード、気合と根性で、そこらへんでのケンカとか学生大会くらいなら、勝てるかもしれません。

しかし、命をかけた勝負とか、戦場での生存技術とかいう観点で見ると、個人的な工夫より、先人の智慧の集大成である武術の形を利用したほうが、生存確率が上がるでしょう。

私は、そういうつもりで、推手であっても、套路の形のつもりで取り組んできました。

もちろん最初の頃は、さっぱり套路と推手がつながらず、バラバラに思えておりましたが、修行していくほどに、リンクしていきました。

「そんな套路どおりにつかえるわけない」という批判的な声を浴びながら、強引な技にやられることもありましたが、言っている方がアホや、と信じて、批判は無視して、套路にこだわり、強引にやりかえしたりせず、愚直に負け続けてまいりました。

で、今では、そんなことを言っていた人に負けなくなりました。

それどころか「いまのは高探馬の応用です」と解説しながらできるようになってきました。

私を批判していた人も、ようやく見直してくれているみたいです。(私を?形を?)

形の威力を感じたのは、先日、他武道の人たちを手合わせできたときです。

初めて体験する相手の動きに、自分自身も初めて使う動作で、思いもよらず対応できたのです。

しかし、初めてといっても、それは推手で使ったのは初めてということでありまして、日頃練習している套路の動作そのものだったり、その応用変化ばかりでした。

いやー、太極拳、すごいなーと感心した次第です。前提として、キチンと学んで真面目に練習しているということがありますが。

先日手合わせしていただいたのは、主に密着系の武術の方だったと思います。空手とか日拳とかの打撃系の人とは手合わせしたことがないので、どう応用できるかはまだわかりませんが、先人が考慮に入れていないはずがないと思いますので、信じて精進を続け質を高めて参る所存です。

 

コメント

  1. 岡崎 より:

    初めまして。
    四十肩のリハビリ目的で陳式太極拳を始めた太極拳初心者です。
    陳正雷先生の系統の教室で練習させていただいているのですが、ほぼ、基本功の触りと套路の練習(新架一路)のみです。
    やり始めると面白くなって欲が出てくるもので、せっかく武術とよばれるものを習う以上、強くなりたいとまでは思わなくても、自分の身を守れるくらいには使える様になりたいと、一通り習える太極拳の教室を探していたところ、このブログを目にした次第です。
    推手や対錬、散手、武器術など、一通り網羅した陳式の教室などご存じでしたら、教えていただく事は可能でしょうか?

    • パパだよ より:

      岡崎様コメントありがとうございます。

      陳正雷老師の系統で一通り網羅されている教室といえば、
      こちら以外は私は存じておりません。

      https://privatter.net/u/075an

      京都での開催ですが、遠方から来られる人が多いです。

      一通り網羅といっても、
      教室ではやはり、基本功と老架式一路が中心です。

      それ以上となれば、個人指導をお願いすることになりますね。

      また、私は全然参加したことがないのでよく知らないのですが、
      こちらでも刀とか剣とか教えておられるようです。

      https://osaka-chen-taichi.wixsite.com/kenkyukai

      太極拳は奥深く、学ぶほどに世界が広がって面白いですね!

      ただ、自分の身を守るという点で考えると、
      あれこれ手をつけるより、
      基本功と套路をトコトンやり込んで、功夫を高めるほうが近道かもしれません。

      その上で、補助練習として、
      推手や武器もやっていくというのがオススメです。

      • 岡崎 より:

        返信ありがとうございます。

        京都の教室を検討させていただこうかと思います。(先ずは安田先生の書籍を買ってみます。)

        畳の上の水練では物足りなくなって、ちゃんと泳げるようになる教室を探してたくて質問させていただきました。

        • パパだよ より:

          安田先生の本、おすすめです!

          ぜひご参加くださいませー!

          • 岡崎 より:

            安田先生の本、良著ですね。

            現在読み進めていますが、改めて良師を得る事、物事の本質を掴む事の難しさを再認識させられます。

            自分が通っている教室の主催者の方は、プロフィールを見るかぎり安田先生の師兄弟にあたる方で、同じフロアで別クラスの指導をしている様子や言動を耳にする機会がよくあるのですが、「同じ師に学んでもこうも違うものなのか?」と読みながら思わされています。

  2. パパだよ より:

    物事の本質をつかむ、というのは、本質に触れられる環境にいるかどうか、本質を掴みたいという気持ちがあるかどうか、というところで大きく違ってくると思います。

    同じ師に学んでもこうも違う…というのは、センシティブな問題ですね。

    求めているものは何か、素直に学べているのか、学びを100%実践できているか、師の願いを感じることができているか…、つまるところ、素直さと覚悟の違いじゃないかと思います。

    運動神経とか、小器用かどうかというのは、些細な問題で、やはり心構えじゃないかなーと思う今日このごろです。

    • 岡崎 より:

      京都の情報をありがとうございました。
      さっそくこの日曜日に体験させていただいてきました。
      一つ一つの動作の要求が細かく多岐にわたり、先生がおっしゃられたように、早速一日たった段階でポロポロと記憶からこぼれ落ちております。
      非力非才の根性無しなので(見せていただいた内弟子コースは無理って思いました。)、挫折するかもわかりませんが、しばらく通わせていただこうかと思います。

      • パパだよ より:

        岡崎様

        さっそく! 素晴らしい行動力ですね!
        安田先生の教えは本質的で、すごく奥深く、とても全ては吸収しきれないなあと思いつつ、地味にぼちぼち学んでおります。
        お会いすることもあるかと思いますので、またよろしくお願いいたします。