この物語はすべてフィクションです。
第二十四話 謎の一人と美鈴の疑いのこと
夜明け前、庵天先生のアパートの台所。
春子が台所で味噌汁を温めつつ、調味料の瓶の裏に隠した小型送信機を取り出す。
庵天が小声で言う。
「味噌汁三人前、具は豆腐とワカメ」
送信機から、オペレーターが「湯豆腐は南禅寺…」と返事が返ってくる。
春子がため息をつきながら囁く。
「また食べ物の暗号? おなかすいた人みたいで恥ずかしいわ」
「アナログがいいんだよ」
本物の味噌汁をちゃぶ台に置いて、春子が用心深く言った。
「…現場にもう一人いたわね」
「ああ、でもあいつらの仲間じゃないな。俺たち側の奴じゃないか? 敵意を感じなかったし」
「でも、そんな連絡は入ってないわ」
「うーん。わからんな…。どこかでまた接触するかもしれないな。なんだか知ってる者のような気がする…」
そう言って、庵天先生は味噌汁を一気に飲み込んだ。
飲み終えるのを待って、春子が言った。
「あの子達、ちょっと脅かしすぎたんじゃない? 記憶は消しておいたけど、トラウマになりかねないわよ」
「自分こそ、悪ノリがひどかったぞ。なんだよ、いばら姫って…」
「あなたがタソガレとか言うからじゃない」
「奴が黄河一号なんて言うもんだから、古すぎると思って、令和の時代に合わせてみたんだ」
「バラバラ殺人事件の予告みたいなことも言ってたわよ」
「ビビらせてやろうと思ったんだが、ちょっと冗談が過ぎたかな。実際には麻酔薬で眠らせて、公安に引き取りに来させたんだが…。C国側の連中、死体も消されたと思ってくれればいいけどな。あの爆発はうまくいった」
「倉庫はバラバラ。お隣さんは、窓ガラスくらいは割れたかもしれないけど、そんなに被害はないはずよ」
「太児達、上手く忘れていてくれていたらいいけどなあ」
庵天先生は、足を組みなおして、まっすぐ座り、机の上にゴロッと木の玉を転がした。
「さて、こいつが例のモノだが…俺が昔、陳家溝で預かり、今は太児が持っている例の木の珠に、よく似ている」
それは、太児が持っている木の珠に、とてもよく似ていたが、漢字で「戢兵」と書かれていた。
春子は珠を手に取り言った。
「この文字、どこかで見た気がするわ。これって、武の七徳のひとつじゃない?」
「あっ。春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)か?」
庵天先生が考え込む。
「孔子の書いた歴史書「春秋」の注釈書だな。その中に「武有七徳」が書かれている。禁暴・戢兵・保大・定功・安民・和衆・豊財の7つだ。そのうちのひとつが、こいつに書かれているってことか? 伝説通りにこの珠が陳王廷の木の剣から作られたものなら、あと6つあるということになるが…」
「太児くんの珠には何も書いていないわね」
「うーん、触っているうちに消えてしまったのかもな…。戢兵(しゅうへい)以外のどれかが書かれていれば、面白い話になるが…」
「なんで、そんなものをC国が狙っているのでしょうね?」
「武勇七徳が説くところは、今のC国の政治方針と反するところが多いからなあ。武有七徳は、暴を禁じ、武器をしまい、大国を保全し、功績を確立し、人民の生活を安定させ、大衆を仲良くさせ、経済を豊かにするってことだからな。今や武術の聖地として、国家が盛んに宣伝している陳家溝からそんなもんがでてきたら、こりゃヤバイ、と思って回収するんじゃないか?」
「でも、そんなの無視してたらいいじゃない?」
「それもそうだよなあ。なにか思いもよらないような秘密が隠されているのか…?」
朝の公園で、美鈴が詰問していた。
「あんたたち、昨日の夜どこへ行ってたのよ!」
眠そうな声で太児が答えた。
「覚えてないよ…」
「オレも…」
「うちも…」
「ワシも…」
なぜかテツも晶に連れられて、太極拳の練習に参加。
「きのうは爆発事故もあるし、あんたたち、巻き込まれたのかと思ったわよ」
「へえ、そんなことがあったんだ…」
「へえ、知らなかったなあ」
「うちもしらん」
「ワシも…」
拳二が尋ねる。
「ていうか、なんでオレたちが夜に出かけたと思うんだよ」
美鈴がプリプリしながら答える。
「太児のピアノが聞こえないし、拳ちゃんも電話も出ないし! 私だけのけ者にして、例の昔の村に行って、お馬さんに乗ってたんじゃないでしょうね!」
「例の昔の村って、なんや? 怪しいやんけ」とテツ。
「あっ…渦巻映画村のナイトイベントがあったのよ」とあわてる美鈴。
「そうそう、三国志特集だったかな? 関羽はかっこいいね!」と太児。
「馬の上で春秋大刀(しゅんじゅうだいとう)を振り回すんだよな。そこにシビれる! あこがれるゥ!」と拳二。
「そんなん、興味ないわ。ワシが行くわけあれへん」
「テツに聞いとんのとちゃうわ」
本当にそんなイベントがあるなら行ってみたいなあと思いつつ、太児は昨日のことが思い出せない。
(なにがあったんだろう??)
結局、三人とも、太極拳の宿題で疲れて、テツは飲みすぎて、早く寝ていたということに落ち着いた。
「あんたたち、体力がないのねえ~。やっぱり日頃バスケットボールで鍛えている私が、一番強いってことね」
ドヤ顔で見渡す美鈴だったが、その瞳は、何かを疑っていた。

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