達人へのロードマップ

私の自治会教室の皆様には、自作のテキストを配っているのです。

最初は備忘録のメモみたいなもんでしたが、生徒が増えるたびに書き直し、けっこうなボリュームになってきました。

第一巻は初心者向け。72回に分けて、ちょっとずつ配布。

書き直しては、配布し、また直しては配布を繰り返し、もう何周目かな?

最初に書いたのが令和元年なので、もう8年目。まだ、書き直し、バージョンアップを繰り返し、永遠に完成しないような気がしておりますが、付録巻も合わせ、5巻構成を構想しております。

第一巻最終巻を、本日配ったのですが、自分で読んでもなかなか良い出来だったので、ブログに載せてみます。

技術的なこと、秘伝的なことは何も書いてませんが、太極拳はこうやって練習していったらいいんだなーと、参考になれば幸いです。

太極拳講座テキスト 第1巻 第72回 達人へのロードマップ

太極拳の始める理由には、大きく3つあると聞きます。
ひとつは、若い時に、カンフーのかっこよさに憧れてとか、強さを求めて、他の武術から転向とかです。
今や少数派でしょうが、私はこれです。
ふたつめは、健康美容、怪我や病気の治療、療養のために始めるケース。こちらは結構多いです。癌が発覚してから太極拳を始めた友人もおりました。彼は結局、癌は消えず、亡くなりましたが、医者の宣告より、かなり長く生きられました。亡くなる直前には、太極拳教室の美人指導員と再婚して、幸せな晩年のようでした。(それは関係ないか…)
みっつめは、友達や知り合いに誘われてとか、たまたま近くの教室をのぞいて、というケース。お年寄りの多い教室は、ほとんどこちらじゃないでしょうか? 健康的で安上がりなコミュニティに所属する喜びで続けておられるようです。

【太極拳の目標】
太極拳が、日々の喜び、人生の張り合いになり、さらに健康維持に役立っているのであれば、大変結構なことです。具体的な目標があれば、なおいっそう楽しくなります。向上心が湧きますし、知識欲への刺激にもなります。
日本武術太極拳連盟には、昇級昇段制度があり、それを目標に頑張っておられる人も多いです。大会での好成績を目標としている人もいます。優勝したら金メダルをもらえて嬉しいですね。
しかし、表演競技は見栄えを採点する競技なので、太極拳の本質とは言い難いです。達人を目指す過程で、大会でも評価されたならいいですが、大会の成績のため頑張る程に、本質から離れていきます。
昇段も、太極拳のレベルアップと比例しているわけでもなく、審査基準さえクリアできればいいと思っている受験生は多いようです。三段受験のために、形ばかりの推手を覚える、なんてのが、その典型例でしょう。
他人の目的や価値観についてアレコレ言うべきではありませんが、私は本来の武術として取り組んでいます。健康や張り合いは、既に得ました。金メダルもいただきましたが、大会の成績にはさほど執着しておらず、段位には全く興味ないです。それよりも、先人の開拓してきた太極拳の道筋を、正しくたどってみたいと思っています。
達人とはなにか? いろいろ基準めいたものがあり、一言では語れませんが、一応、ロードマップ的なものが、太極拳の世界にはあります。このあたりの知識もなく、意識することもなく、日々太極拳を楽しんでいる人がほとんどだと思います。それで満足でも一向に構いませんが、達人への道のりを知っておけば、取り組み方に違いが出てくるでしょう。

【太極拳のゴールは神明?】
人生は逆算で考えよ、といいますので、ゴールから書いてみます。
太極拳のゴールは「神明に至る」です。太極拳論に出てくる言葉です。ゴールといいましたが、「ここで終了」ではなくて、最終のチェックポイント、みたいな位置づけかもしれません。ここより先は、未知の世界です。伝説では仙人になったりします。
多くの名人と呼ばれる老師達が「自分はまだ神明に至っていない」と語られていますので、とりあえず我々も、ここを最終目標にしておけばいいかと思います。
神明とは何かと聞かれれば、どうやら途方も無い話で、想像するしかありません。神様が明るく照らす感覚を得る? 人間の神経経路の流れが、くっきりハッキリ明確にわかること?
人と比較して、世界最強とか、人類史上、最も長生きとか、わかりやすいものではなさそうです。
「達人とは、問いの中に生きる人」といいますので、神明を探求し続ける人が達人なのかもしれません。

【懂勁】
「神明」の前の段階は、「懂勁」(とうけい)でしょうか?
懂勁の意味は、「勁がわかる」です。自身の纏絲の勁、自然の波長にあった内勁を知ることです。套路や推手の訓練を積んで、感覚が鋭くなり、無意識で体が正しく動く状態です。
日本では、懂勁を到達点として解釈している人が多いようですが、太極拳の習得レベル(後で説明する二遍拳)の目安とする人もいるし、指導者として備えておくべき最低限の水準とする人もいます。
太極拳論には「勁をさとることによりて階は神明に及ぶ」と書かれています。
このレベルに至るまでは、やはり10年単位の修業が必要であろうかと思います。

【聴勁】
懂勁が、自分の勁がわかることなら、聴勁は相手の勁がわかることです。接触している皮膚の感覚で感知できるのが初歩レベルです。これは、推手を 3 年も練習していれば、ある程度、感覚がつかめます。
(自分のことはわからずとも、人の粗はよく見えるものです。笑)
上達して高いレベルになると、体に触れずとも相手の勁を感知できるようになります。

【化勁・畜勁・発勁】
聴勁で相手の勁を察知し、自分の勁を合わせ、順と背の攻防になるのが太極拳です。化勁は、相手の力を無効化すること、発勁は自分の勁を相手に伝え影響を与えること、畜勁はその切替点です。
套路と推手で、この感覚を養います。発勁は、達人のみに可能な秘伝の奥義!みたいな誤解がありますが、太極拳の基本です。化勁・畜勁・発勁はセットであり、同じものです。套路と推手の練習を真面目に毎日やっていれば、3年もすれば、感覚がつかめます。
熟練すれば、触れなくても化勁と発勁が可能となり、さらには、目線や呼吸音だけで相手をコントロールできます。このレベルになれば、傍目に見ている人は、気で人が飛んでると誤解し、凄い達人だと思ってくれるでしょう。

【引進落空】
化勁と発勁は、引進落空を生みます。力で無理に押したり引いたりすることなく、スコンと、床を抜いたかのように、敵をコントロールできます。
相手は、いかようも力を入れることもできず、やられるがまま、なすがまま。押すことも引くことも、踏ん張ることも、立っていることも、受け身を取ることもできません。

【用意不要力】
拙力を使っているうちは、引進落空は起こりません。拙力とは、日常使っている筋力を用いた強引な力です。稚拙な力なので、拙力と呼びます。バーベルを100kg持ち上げられたとしても、それは拙力です。
太極拳では、拙力ではなく、「勁」を使います。勁は、数値で見れば、小さなエネルギーかもしれませんが、整った力であり、地球の力を借りた力です。小さな勁で、大きな力を制します。四両撥千斤が実現可能だと実感できれば、太極拳は更に楽しくなります。

【擒拿・点穴】
達人へのロードマップに入れるべきかどうかわかりませんが、技術のバリエーションです。関節技や、経絡秘孔を攻める類の技です。これらは、特化した技法ではなく、幹から派生した枝葉と言えないこともありません。化勁や発勁と関係なく練習すると、太極拳から離れていきます。擒拿を専門とする武術もありますが、張り合うこともないでしょう。少林寺拳法をかじった者(三段程度)は、つい、強引な小手先の技術に走りがちなので、要注意です。(私です。)

【散手】
推手の上級レベルが散手です。制限なしの自由な攻防です。試合や競技ではなく、練習方法です。
現代の競技的な格闘武術は、初心者がいきなりこのレベルの練習をしたりしますが、それだと、個人のセンス頼みになってしまいます。基本から始めないと、武術の真髄はわかりません。
しかし、太極拳学習者で散手ができる人は少数です。いかに段階を踏むことが大事だとしても、現代の太極拳カリキュラムは、遅すぎる気がします。同じ段階でダラダラと成長しないのは辛いです。私は、ある程度推手ができれば、とっとと散手も体験するのがいいと思っています。散手ができないのでは、武術として意味がないように思います。
ただし、散手は、つい勝負にこだわってしまい、目的や基本を見失う恐れもあります。きちんと基礎から段階を踏んで正しく修行しましょう。…とすると、やはり時間がかかります。ジレンマですね。

【活歩推手】
散手の前段階です。歩法を伴う推手です。一定の決まりに従い、足を動かしつつ、推手を行います。定歩推手の次の段階の推手です。いろいろなバリエーションがあります。

【定歩推手】
推手を正しく行うために、足を動かさない定歩から始めます。片手での単推手から始め、四正推手、四隅推手に進みます。
人に向かい合ってこその武術です。正しい形で勁を身につける訓練が基本功や套路であり、対人感覚を養う訓練が推手です。間合いや、体格の違いによる有利不利等も体験できます。

【武器】
器械ともいいますが、棍、刀、剣、槍など、武器の練習をします。太極拳はもともと武器ありきで発達した武術です。武器の使い方が、そのまま徒手での体の使い方になっています。「斬る」感覚がわからないと、素手の技術も理解するのは難しいです。武器を練習すると、丹田感覚も得やすくなります。
日本では、ある程度のレベルに至ってから武器を学び始めることが多いですが、早いうちから武器に親しむほうが、套路や推手の上達も早いです。

【二路】
二路拳は、一路拳の発展形ではなく、古い拳術とのハイブリッドです。二路拳には、少林拳やイスラム武術の名残が濃く残っています。ただし、太極拳として昇華されておりますので、先に一路でみっちり太極拳のエッセンスを身に着けておかないと、違う武術になってしまいます。二路を学ぶことで、より武術的なセンスを養うことができるでしょう。

【呼吸】
呼吸と動作を合わせます。初心者は呼吸を意識しなくて良いですが、型をすっかり覚え、勁や意を感じるようになってきたら、呼吸も意識します。呼吸による開合が伴うと、陰陽、虚実がよくわかります。発力時の特殊な呼吸法なども学びます。

【套路】
套路は、太極拳の集大成です。すべての要素が、詰め込まれています。料理で言えばフルコース、音楽で言えばオーケストラです。基本功は、ひとつひとつの楽器の練習のようなもので、パート練習です。推手はアドリブの練習でしょうか。
個々の音を、美しく、ドラマチックに響かせ、表現できるように組み立てられたのがオーケストラです。套路をやらないことには、太極拳とはいえません。太極拳で、もっとも多く練習すべきは、套路です。
この套路練習も段階があって、一遍拳から五遍拳まで分けられています。
一遍拳は、形を正しく作る段階。
二遍拳では内勁を学びます。懂勁はこの段階です。
三遍拳は、発勁を自由自在に打つ段階。二路はこのレベルに至ってから学び始めないと、モノマネで終わります。
四遍拳は、陰陽の変化を自由自在にし、小さくまとめる段階です。
五遍拳は、動けばすべて太極拳。最高のレベルであり、達人です。
これらの段階は、今日から二遍拳ですよーと区切れるようなものではなく、修行を続けているうちに、おや、二遍拳に進んでいるな、と気づくもので、指導者が意識しておくべきものと言えましょう。

【基本功・単式練習】
基本功や単式練習は、套路のパート練習と言えます。音楽で言えば、ロングトーンやスケールの練習にあたります。短い動作を繰り返し体に覚え込ませます。套路を覚える前も、覚えた後も、基本功は継続して練習します。
套路はオーケストラだといいましたが、74式にコンパクトに纏められたものです。すべての技術、要諦を余すところなく網羅、とまではいきません。套路では省かれた動作や隠れている動作が存在します。
それらは、基本功を錬ることで理解できます。基本功を飛ばして、套路から学び始めると、それらに気づくこと、理解することができません。
基本功は、太極拳に必要な筋力や柔軟性を養うにも合理的な訓練です。纏絲勁を身につけるためにも不可欠です。日常の動作が基本功に思えてきたら、太極拳の真髄が見えてきたと思っていいでしょう。

【歩法】
基本功は、その場で動かず行うものと、歩行を伴うものがあります。太極拳のバリエーション豊かな歩法は、套路でも学べますが、歩くだけで武術になる合理的な歩法を、しっかり練習して理解しておくと、次の段階も理解もしやすくなります。歩くだけなので、通勤通学散歩など、いつでも修行できます。

【站樁功】
太極拳修行のスタートといえば、站樁功でしょう。スタートであり、奥義でもあります。放鬆・虚領頂勁・立身中正など、体のバランスを整える訓練であり、内功を高める訓練でもあります。いつでもどこでも、寝起きでも電車の中でも、鍛錬できます。

【甩手】(スワイショウ)
手を振ったり体をねじったりする、準備体操みたいなものです。現代人の日常生活習慣では、体が歪み、凝り固まりやすいです。太極拳の練習に入る前に、解きほぐしておくと良いです。仕事の間の休憩のときにも、おすすめです。

達人までのロードマップといいましたが、自動車免許の教習のように、第1段階を修了したら第2段階に進むといったものではありません。
套路ができたら推手、ではなく、套路もやり推手もやり、その中で自分の未熟を知り、補い合って練習していきます。定歩推手が完璧になったから活歩推手ではなく、定歩がある程度できれば活歩もやり、また定歩を見直す…と、いったりきたり進みます。
階段状のステップを上がっていくのではなく、同じ円の上をグルグルグルグル何度も何度もなぞって、濃く、太く、螺旋状に成長します。(安田洋介師父の教え)
初心者がいきなり、勁が、気が、発勁がどうのこうのいえば、プププと笑われます。それは、螺旋を10回くらい巻いてきたところで見えてくる話です。立ち方、歩き方、基本功、套路…と何度も繰り返しているうち、徐々に見えてくるでしょう。薄ぼんやり見えてきたものが、だんだんと、ハッキリくっきり見えてきたならば、また螺旋を10巻ほど上がったな、と判断いたしましょう。高みに上って、見晴らしが良くなってきたのです。
螺旋の頂上、山のてっぺんはどこにあるのか、私にも見えていませんが、近づいていることを信じて喜びましょう。
以上、達人へのロードマップとしましたが、太極拳の道は奥深く、果てしないです。焦っても、しょうがないです。人よりちょっと上手いとか、進んでいるとか、小さな話です。
徐濠老師が言っておられた言葉を紹介します。
「死ぬまでに達人になればいいじゃないですか!」

【人のために学ぶ】
さて、達人への道のりは険しく長く、生涯をかけてもたどり着けない可能性もあります。そもそもゴールなぞ無いのかもしれません。なんのために太極拳を続けるのか、最後にもう一度、触れておきたいと思います。
武術としての強さを求めたい、健康を維持するため、人付き合いの一貫として、生涯学習で死ぬまで学ぶ楽しみを味わいたい。それでOKです。
しかし、もうひとつレベルアップしてください。上に書いたことは、すべからく自分自身のためですが、自分だけのために頑張り続けられる人は少ないです。自分のためだけだと、もういいやーと思うときが、きっとあります。
太極拳をやっても一向に強くなれない、長生きしてもしょうがねえ、怠惰に生きたい、教室のメンバーも入れ替わって馴染めなくなった、新しいことを覚えるのは大変、この程度で卒業させてもらおう…。自分のことしか意識になければ、きっとそうなります。
そこで、世のため人のための意識を持って欲しいのです。
練習相手も上達するように応援するとか、仲間内の楽しい雰囲気を作るとか、周りの人々のために役立ち、光る存在になりましょう。自分の上達は、他のみなさんの目標になります。頑張れば、あんなふうになれる!と希望の源になれます。
先人の努力で練り上げてこられた素晴らしい太極拳を、次の世に伝えることも、高尚な目的です。これは「伝人」の称号を持つ方々の役割でありますが、学習者一人ひとりも、伝人といえます。武術業界はインチキ・デタラメのまかり通っている世界です。正しい太極拳をしっかり伝えていきたいと思います。
カルチャーセンターでは先生に習うだけですが、学校のクラブ活動は、先輩から後輩へと引き継がれていきます。引き継ぎのたびに劣化していっては、いずれ廃れて消えてしまいますが、1%でも進化して引き継がれていけば、複利の法則で、どんどん向上していきます。
歴史の中の、ほんのちっぽけなポジションに過ぎないかもしれませんが、その一員となれればステキなことです。

太極拳豆知識【三段最強説のウソ】
私は学生時代に、少林寺拳法の三段位をいただきました。
「三段くらいが本当は一番強いんだってねー」と勝手に誤解して感心してくれる人がいて、はあ、まあ、と答えておくのですが、そんなわけないです。「三段が一番強い」は都市伝説、デマです。
少林寺拳法だと、高校生から始めたとして、スムーズに昇段試験に合格すれば、大学生で三段を取れます。大学の体育会は練習量も多いし、年齢的にもパワー溢れておりますから、防具をつけたドツキ合いの乱取りなんかは、大学生は強いです。大会で成績を出すのも、三段くらいが多いでしょうから、そんな俗説が生まれたのだと思います。
50 歳にもなって、いまだ三段の人と、修業を続けて六段の人では、六段のほうが強いに決まっております。このクラスになれば、大会も審査する側でしょうから、金メダルもないでしょう。肉体は老化に向かっておりますから、瞬発力や持久力など、体力的には20代に劣るでしょう。
しかし、練られた技のキレは、力自慢の若者とは一味違います。私の大学時代の監督であった牧野清先生は、おじいちゃんの年齢でしたが、突きでも関節技でも、おっそろしかったです。(今は九段)
少林寺拳法の昇段試験は、学科の筆記試験と、実技科目で判定されました。基準のレベル以上になっていれば、段が上がります。わりと明確です。(七段とか八段にもなると、人格とか、組織への貢献度も問われるようですけど、そんな雲の上の話は知りません。)
太極拳の場合は、級、段ごとに採点のポイントがきまっていて、こなせるかどうかで判定されるようです。最近では、試験会場にいかずとも、録画した動画で判定する会派もあるのだとか。時代ですね。
私は、いまさら昇段試験を受ける気はありません。ちまちまと、初段、二段、三段ってやっていくのは時間も費用もかかることです。飛び級でいいなら、受けてみないでもないですけど、武術のレベルと関係なさそうだし、表演大会で有利になることもないし、メリットを感じません。少林寺拳法のように、この段をクリアせねば次の技は学べない、なんてこともありませんし。段位を目指さなくても、私は毎日熱心に練習しております。
昇段試験料が、太極拳普及のための運営費になっていることは理解できますので、沢山の人がどんどん試験を受けて、業界が活性化するのはいいことだと思いますが、段位も大会も関係ない、名人や達人から個人指導を受けて、指導料を払っているほうが、私には意義があると感じています。
牧野先生の話が出たついでに、卒業25年目の同窓会で再会した牧野先生から教わった言葉を紹介します。
「育てる修行、鍛える修行、養う修行」
子供のうちは育てるため、青年時代は鍛えるため、老いては養生のために修行しなさい、ということでした。

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