怪奇小説「太児」第十七話

この物語はすべてフィクションです。

第十六話 伝統と武術と文化と革命のこと

「ところで先生。この木のペンダントなんだけど…」

太児がポケットから取り出して、庵天先生に見せた。

「ああ、何か面白いことでもあったか?」

太児がおずおずと答える。

「時々光るんだよ…」

「ふーん。あれだな、光線が空に伸びて、天空の城のあり場所を指し示すんじゃないか?」

「天空の城じゃなかったけど…」

「…陳家溝か」

「そう言ってた」

「そうか。やっぱりな…」

庵天先生が、春子と目を合わせ、軽くうなづいた。

拳二と美鈴も顔を見合わせる。

晶はなんのことやらさっぱりだ。

「これは俺が若いころ、陳家溝で修行していた時に、村の老人から預かったものだ。村に伝わる宝だったが、時の政府に見つかると大変なことになったらしい。村に隠しているのも危ないし、村の関係者が持っていたら狙われる。で、日本に帰る時に俺に預けられたんだ。そして、村に戻さなくてもいい、お前が50歳になったら、次の者に託せ、陳氏太極拳の未来をつなげろ、と言付かった。文化大革命では、太極拳を含むすべての武術が、抹殺されていったんだ。ひどい話だ」

「もう武術はなくなったの?」

「当時、逃げたり隠れたりした者が、なんとか伝えているようだけどな…伝統がどこまで正確に残っているかわからない。俺も正しい伝統を伝える役割を担った一人となったわけだ」

「次の者が、ぼくなの?」

「なんとなくな。雰囲気を感じたんだよ。ドンくさそうで素直、結果を求めず地道に頑張れそうなやつ。理解できないことでも、すべてを受け入れられそうな10歳くらいの男子。それが俺の50の誕生日に現れた。こいつだな、と思った」

庵天先生がニコッと笑った。

「違っていたら、取り返そうと思って、実は自宅もチェックしていた。太児、陳家溝に行ったろう。俺の見る目は間違ってなかった。だから、何十年かぶりに教えよう、伝えようと思ったんだ」

「俺も行ったよ」と拳二。

「私も」は美鈴。

「うーん、それは想定外だったが、まあ、いいんじゃないか? 人には言うなよ」

晶が言った。

「なんのことなの? そのペンダントはなんなの?」

「ぼくも知りたい。一体なんなの? なんで光るの? なんで異世界に行っちゃうの?先生もあの村に行ったことがあるの?」

庵天先生が、あぐらをかいていた足を組みなおした。

「…明の終わりから清の始めにかけて生きていた陳王廷という人が、陳氏太極拳の創始者だといわれている。この木玉は、言い伝えでは、陳王廷が練習で使っていた木剣の一部らしい。戦乱で燃えてしまって剣の形はしてなかったが、陳王廷が亡くなった時、弟子たちが形見分けで、7つに分けて、ペンダントにしたそうなんだ。7つ集まると神龍が現れ、どんな願いでも一つだけ叶えてくれるとかくれないとか言われているが、6つは昔から所在不明、一つだけが、村で大切に祀られていたらしい」

庵天先生が麦茶を飲んで、コップをお盆に置いた。

「第二次世界大戦後、共産ゲリラが新しい国を作って建国を宣言した。それが中華人民共和国だ。みんな、中国中国って呼んでいるが、中国はこの時にできたんだ。それまでは、清とか民とか漢とか、いろんな王朝が入れ替わりつづけている。入れ替わりが激しいし、大きくなったり小さくなったりで、呼び方がややこしいから、世界的には支那(Chaina)と呼ばれている」

「支那って、差別用語じゃないの?」と聞く美鈴。

「日本人が支那というと差別用語だが、世界的には標準だ。反日活動に利用されてるんだ」

美鈴と拳二が顔を見合わせる。

「この新政府は、伝統とか歴史を認めない。共産ゲリラの親玉、毛沢東の言うことだけが正しい。それで、文化大革命っていう、これまでの文化を破壊する革命が起きた。資本家、学者、役人、教師など、知識人が一斉に粛清された。粛清っていうのは、殺すってことだ。武術家も伝統を守る人々だから、やっぱり粛清された。伝統は途切れ、多くの武術が失伝した。陳家の隠れたシンボルであったこの木玉も、当然見つかったら破壊される。だから厳重に隠されていたんだ」

太児がゴクッと、つばを飲み込んだ。

「俺が中国に来たときは、毛沢東もとっくに死んでいるし、だいぶ落ち着いていたんだが、天安門事件が起きた。民主化を望む学生達を、共産党政府が大虐殺したんだ。戦車で何百人も轢き殺した。それで、村の長老たちが、文化大革命の再来かと恐れて、木玉を俺に託したんだな。日本に持ち帰るのは、ビクビクだったよ。木だから空港のセンサーに反応しなくて良かった」

木玉が太児の手の中でわずかに震えた。その微細な動きは、まるで脈打つ心臓のようだった。

「動いた?…なんで動いたり光ったりするんだろう?」

「それを感じるのは、太児、おまえだけだ。いまだに残っている陳王廷から続く陳氏の気の流れを、お前が感じているんだよ。お前の心が動いたとき、扉が開く。そして…向こうでお前を待つ人たちがいる」

太児の心臓が高鳴る。手のひらにある木玉が、さらに強く脈打つのを感じた。木玉が淡い光を放ちながら震え始めた。

「先生もあっちに行ったことがあるの?」

「ああ、飛行機で北京へ行って、そこから寝台列車で12時間で鄭州。バスで4時間で温県、そこからトラクターの荷台に乗せてもらって行ったんだ」

「遠いんだね…」

「現実世界の陳家溝では、四大金剛と呼ばれていた老師達や兄弟子達、村の年寄達からみっちり学んだが…、お前の聞きたいのはそれじゃないよな」

庵天先生がニヤッと笑った。

「このペンダントを預かって中国を離れてから、お前も行った世界に、俺も行った。350年前の陳家溝だ。高い交通費を払って、何日もかけていってたのが、一瞬だ。そこで陳王廷に会った。本当に伝承者だと認められた気がしたのは、その時だ。俺がお前たちに教えていることは、陳王廷から続く陳氏の武術そのものだ」

そんな不思議な繋がりがあるのだろうか…。

太児は感動した。木玉から青白い光が発せられ、その場にいた6人を包み込んだ。

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