動物小説「太児」第十八話

この物語はすべてフィクションです。

第十八話 乗馬と剣術のこと

「なんなん?ここ?」

晶がきょろきょろ見渡しながら言った。

朝靄に包まれた陳家溝。

村の広場には、栗毛や黒毛の馬たちがのんびり歩いている。動物の匂いが鼻を突く。

「おいおい…。ここは初めてだな。動物園かな?」

拳二が馬の首筋を恐る恐る撫でると、馬がふんっと鼻を鳴らした。

「うわっ、こっち見た!」

美鈴は一歩後ずさるが、太児は目を輝かせていた。

「すごい……かっこいい……」

「うちは馬見たら、馬券をちぎって投げて叫んでるテツ、思い出すわ」と晶。

その時、低いが軽い声が響いた。

「久しぶりだな。庵天」

振り向くと、陳王廷が馬に乗って歩いてきた。腰に木の剣をぶら下げている。

庵天先生は一歩前に出て、深く頭を下げた。

「お久しぶりです。この子に導かれてやってきました」

そういって、庵天先生は太児を見た。

「知っておる…。珠の光に包まれたのであろう。わしが導いたともいえる…。ここに来たということは、馬に乗りに来たということだ。陳家溝の馬術訓練所で遊んでいくがいい」

「えっ、のっていいの?」と飛び乗ろうとした拳二は「うわぁ!」と悲鳴を上げて振り落とされた。

続いて、晶が「見ときや!」と息巻いたものの、馬にそっぽを向かれて尻餅をつく。

太児は緊張しながら馬に手を添え、静かに深呼吸した。

庵天先生が声をかける。

「力を抜け、太児。套路の擦脚の要領だ。馬と同じ呼吸になれ」

鐙に片足をかけ、手綱を掴み、もう片足をフワッと上げると、ふんわりの馬の背に乗れた。

「太児、馬歩だ。站樁功の要領でまっすぐ座れ」

太児の乗る栗毛の馬は、大人しく足を運び出し、ブフフッと声を上げた。

「ふふふ。まっすぐ乗れておる。馬が喜んどるわ…」と陳王廷が笑う。

美鈴は「わたしは見学で……」と遠慮していたが、春子が「美鈴ちゃんは私と一緒に乗るといいわ」と、美鈴を、馬の背中にひょいと担ぎ上げ、その後ろに跨った。

庵天先生は、拳二と晶を馬に乗せ、自分もひらりと馬に飛び乗って言った。

「ここは異世界だからな。夢の世界さ。乗れると思ったら乗れる。怖がらずに走れ」

陳王廷が言った。

「さよう。言葉が現実を作るのじゃ」

「そんなアホな。ちょ、ちょっと待ってえ!」

叫ぶ晶だったが、意外にもバランス感覚が良く、大きく揺れながらも、振り落とされず走っていく。

「支那北方の武術は、馬に乗る技術で成り立っている。太極拳を修得するには、馬に乗るのが手っ取り早い。ちなみに南方は船だ。南船北馬といって、これ豆知識」と庵天先生。

拳二も晶に負けじと追いかけるが、馬の首にかじりつくもので、馬は走りにくそうだ。

庵天先生が矢継ぎ早に叫ぶ。

「手綱にしがみつくな!」

「仰け反るんじゃない!まっすぐだ」

「鞍を股で挟め!」

「鐙(あぶみ)に体重を載せるな!」

「金玉の裏を馬の背中に擦りつけろ! …ごめん、晶ちゃんじゃない!」

太児の乗っている馬が、溝に向かっている。

「馬と一緒に飛べ!」

馬が飛ぶのと同時に太児が宙を浮く。

(…飛んでる!)

太児はぶれない。位牌のようだ。

「ふふっ、誰がドンくさいんだっけ?」

庵天先生が笑った。

「えっ、太児、すごいじゃん…」

「さすがね。うちの旦那が見込んだだけのことはあるわ」

「ていうか、春子さんもすごい!」

二人乗りにもかかわらず、春子は自由自在に馬を操る。

「私が馬に合わせてるのよ。逆らわないの。でも私の思うようになってる。夫婦円満のコツでもあるわね」

異世界からやってきた6人を眺めていた陳王廷が、静かに呟いた。

「みな、よい目をしておるな。拳を学ぶ者は、心を澄ませよ。馬も拳も、心の延長にある」

そして、にやりと笑って、馬を走らせた。

「さて、馬上で戦ってこそ陳家の武術じゃ。剣を持て」

そういって、陳王廷は、馬上の太児たちに、ポイポイと、木の剣を放り投げて渡していく。

「チャンバラじゃよ。騎馬戦ともいえるな。木の剣じゃ。斬れはしない。安心して戦ってみよ」

陳王廷が、剣を片手で持ち、馬を走らせる。

剣はごくシンプルで飾り気はないが、長年使いこまれたような、ずっしりとした風格がある。もしかして、木の珠はこの剣から作られたものでは?と考えてしまう。

陳王廷は庵天先生に近づき、頭めがけで剣を振り下ろした。庵天先生は、すれ違いざまに剣を顔の前に上げ、陳王廷の剣を音もなく受けて、滑らせるように、頭上に流し、返した刃で、陳王廷の首を狙う。

「ほうほう。さすがじゃな」

陳王廷は笑いながら、スーッと庵天先生の剣を受け流し、ひょいと持ち上げると、庵天先生は、おっとっとと、馬ごとよろめく。

続いて、春子に斬りつける。春子は美鈴をかばうように、剣を翻し、陳王廷の剣をはねのけたが、陳王廷は、剣の先をくるっと巻き込むと、春子の剣は、宙に舞い上がり、吸い付くように陳王廷の左手に収まった。

「奥方、子供に気を取られて、剣への意がちょいと足りなかったのう」

両手に剣を持って、馬を走らせる。

「さて、そこの活きのいい子よ。かかってまいれ」

拳二が、陳王廷に突進する。

「わおー。馬が勝手に走るんだ。片手運転なんて、できないよっ」

拳二は剣を抱えつつも、両手を手綱から離せない。苦し紛れに、すれ違いざまに、陳王廷の馬に向かって、蹴りを放った。

「キーック! これでもくらえ!」

「ほっほっ、片手運転が難しいといいながら、さらに難しい片足運転に挑むとは、あっぱれ!」

馬の勢いに負けて、くるくると空中に放り出された拳二を、陳王廷がキャッチ。自分の馬にまたがらせて、自身は拳二の乗っていた馬に飛び移り、晶に向かって走り出す。

「お嬢ちゃんは、剣どころじゃないのう。ワシについてまいれ」

そういって晶を誘導するように前を走るが、なんと後ろ向きに座って、晶の方を向いている。

「ほい。背筋を伸ばして、ワシの方を見ろ。両足でしっかりお馬さんを挟むんじゃ。あとは馬を信じて楽にせよ。ふむ。それでよい」

アタフタしていた太児だったが、ようやく周りを見渡す余裕が出てきた。

次は自分が稽古をつけられる番だ。

後ろ向きに馬に乗っていた陳王廷が真横を並んで走っている。

陳王廷は、よいしょと片足を上げ、太児の方を向いて、横すわりになった。

「さあ、ワシの二刀流を捌けるかの?」

そういって陳王廷が、左右の剣を、ツンツンと突き出してくる。

「アワワワワ…」

太児は、剣を片手でよけるのと、馬から落ちないようにするので、必死だ。

「ハハハ。ちっと、こっちを向かんか。それじゃと、刺されっぱなしじゃ」

太児は思い切って、陳王廷と同じように、横すわりになった。この体勢だと、足で馬を挟んでいないので、非常に不安定だ。鞍に脚を引っ掛けて、腰かけているだけになる。

「おーほっほ。度胸があるぞ、太児!」

揺れる馬の上、頼りどころのない姿勢に、次々襲い掛かる二本の剣、もうなにがなんやら、意識のやりどころがない。

ズリッと馬から落っこちたところで、陳王廷に受け止められた。

「なかなかよろしい。楽しかった!」

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