マッドサイエンス小説「太児」第五十話

この物語はすべてフィクションです。

第五十話 洗脳薬とゾンビ化薬のこと

庵天先生のアパート。

窓から見える湖面に星明りが映る。

太児の父、侠太郎がきていた。

アパートには他の住人もいるはずだが、ひっそりしていている。

「…義の珠に関わる経緯が、かなり判明してきました」

「おお、早いな。聞かせてくれ」

庵天先生が、棚から木箱を出し、蓋を開けた。「義」の文字が黒々と太く書かれた木の玉が入っている。

「テツさんが、商店街で諍いを起こしたチンピラ売人に制裁を加え、所持品を没収したら、カバンの中に珠が混じっていた、と話していましたが…その売人、やはり本物の薬物ディーラーだったようです」

「テツさん、勝手に制裁を加えちゃうのね」

春子が驚く。

「驚くべきことに、その薬…C国が開発していた例のゾンビ化薬物だったんです」

庵天先生が目を見開いた。

「…太児たちの学校に現れた、あのゾンビ男か?」

「彼が使った可能性が高いです。もしかすると違う売人から買ったのかもしれませんが、出どころは同じかと」

「テッちゃんは、薬物は没収しなかったのか?」

「商品は売人がさばき切った後だったようです。手元に残っていなかったそうで。我々の組織の方で売人の動向を探って突き留めました」

「テッちゃんが危ない薬に触れなくて良かった」

「ただ、売人が持っていた義の珠を見て、骨董品として値打ちあるかも…と、いただいちゃったようで…」

「それで、C国の特務機関に狙われたわけか…」

庵天先生が苦笑い。

「ええ。この薬物、C国の国家プロジェクトの産物です。本来は、忠誠心を操作する薬を開発する計画だったようです。プロジェクト名は煉魂(れんこん)計画。薬は「黒義素」(ヘイイースー)と名付けられていました」

春子が眉をひそめた。

「そんな薬を…研究してたの?」

「時間をかけて洗脳するより、薬でてっとりばやく忠誠心を植え付けようとしたのでしょう。ところが実験に失敗して、被験者の脳が破壊され、暴走・ゾンビ化するという副作用が発生しました」

「おおお??」

「それでも計画は中止されず、むしろ混乱を起こせる武器として、他国や辺境での実験に利用されていたようです」

庵天先生があきれたようにつぶやく。

「狂ってるな……」

「さらに問題なのは、義の珠がその研究所に保管されていた点です。古代中国の徳気を帯びた神秘物質として、オカルト的な側面から研究対象になっていたらしいです」

「あいつら、共産主義の癖にオカルト好きだからな。始末が悪い」

「その研究チームに他国のスパイが紛れていて、珠をすり替え、密輸用の薬物の中に紛れ込ませて国外に持ち出したようなのです」

「C国の研究所に……他国のスパイ? 日本じゃないだろうな」

侠太郎が軽く笑った。

「日本にそんな行動力があれば、逆に見直しますが…おそらくロシアかインド。確証はありませんが。結果的に、珠は密輸品と一緒にルートに乗り、日本のチンピラ売人に流れてしまった。それにC国が気づき、極秘に回収工作を開始。そこに、テツさんが偶然に割り込んでしまった、という構図です」

庵天先生がしばし黙考して、口を開いた。

「…なるほどな。運命ってやつかもしれん」

庵天先生が机の上に置いた珠を見つめながら言った。

「ところで、この義の珠の不思議な力…本当にあるのかな?」

「伝承では、赤く光り、持つ者を守る、と言われているそうです。ただ、確かな記録は残っていません。ですが、テツさんが工作員に殺されかけた時に、珠が一瞬、赤く発光したと、思い出したように言ってました」

「聞いたのか?」

「それとなく」

庵天先生は、またしばらく黙る。

「…そういえば、暗闇の中で、ぼやっと赤い光を俺も見た気がする。何かのランプかと気に留めてなかった。俺も衰えてきたかなあ」

庵天先生が目を閉じて言った。

「……義を貫く者を、珠が選んだのかもしれんな」

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