この物語はすべてフィクションです。
第三十三話 刀と拳は同じのこと
庵天先生が切り分けたリンゴを、シャクシャクと、一同美味しくいただいた。
「とりあえず、刀の套路を見せる。なんとなくでいいから、イメージをつかんでみな」
庵天先生が、芝生の上にまっすぐ立った。
左手に持っている刀は刃先が上に向き、腕の後ろに隠れている。
起勢。
普段練習している太極拳の套路と、始まりは同じだ。
両手が浮き上がり、左から右へと螺旋に動き、刀が右側の空間を切り裂き、振り下ろされた。いつのまにか右手に持ち替わっている。
「これが抜刀」
刀を掻き上げ、左手を刀の峰に添えて構える。剣道の中段の構えに似ているが、小さくコンパクトな構えだ。
刃が左右に閃き、まっすぐ大きく突き込まれた。フェンシングの突きのようだ。
刀が頭の後ろで回転し、空間を上下に切り分ける。
飛び跳ねて背後の敵の心臓をえぐるような鋭い突き。
周囲を回転するように大きく薙ぎ払い、草でも刈るかのように、低くなる。
水平、垂直、刀は自由自在に動く。
刀で身を隠し、猿が飛び跳ねるかのように、左右に進む。
斜めに袈裟斬りの連続。高くなったり低くなったり目まぐるしい。水辺に舞い降りる鳥のようだ。
最後は力強く、真下に一直線に一刀両断。刀を返してもとの左手に収まった。
時間にして1分ほど。あっという間だ。
これまで練習してきた太極拳のゆっくりなイメージとからは、想像できない速さ。
「練習はゆっくりやるから安心してくれ。刀を持つ感覚を理解できれば、太極拳も変わる」
拳二が質問した。
「剣道とは全然違うんだね」
庵天先生がニヤッと笑って答える。
「現代の剣道とは全然違うようにみえるが、古い日本剣術と似ているところはあるぞ。陳氏では陰流(かげりゅう)の剣術を取り入れたと聞いたことがある。宮本武蔵の二天一流も研究されたそうだ。西洋のフェンシングや、アラビアの刀術も混じっている。支那事変の時は、陳氏の刀術は実際に日本軍と戦ったそうだからな。実戦的に作られているんだ」
一同、へええ…と驚いた顔をしている。
「刀は、経験の浅い兵士でも使いやすい武器だったんだ。拳の技術も刀術からきているものは多い。刀をやらないことには、わからん動作がある。だから最初の武器は刀だ」
太児が聞いた。
「棍はどうなの?」
「棍は、ただの棒っきれだからな。手近にあって練習しやすい。刀がなければ棒で練習する。これは木刀だが、ただの棒でも練習はできる。棒は、剣だと思えば剣になるし、槍だと思えば槍だ。棍術は、それらの集大成だと言えるな。いろんな武器をやってからも練習しつづけるもんだ」
「へえ、棍ってすごいんだね」
「すごくもなるし、ショボくもなる。練習次第だ」
太児たちが木刀を一本ずつ持って、横に並んだ。
「剣道と違って、太極刀は片手で持つ。右手で鍔(つば)の際をしっかり握る」
庵天先生が見本を見せ、右の肩口から左下、左の肩口から右斜め下へと、ゆったり刀を振る。
「刃筋を意識して、切るつもりで振る。手首は伸ばすな。刀に振られるなよ」
4人はそれぞれ刀を振った。
「足は馬歩だ。土台がしっかりしていないと、ヨレヨレするぞ」
皆が真似を始める。
拳二は力任せに振り下ろし、バランスを崩して尻もちをついた。
「うわっ!」
その拍子に木刀の先が砂を巻き上げ、美鈴の顔にパサッと砂が飛ぶ。
「ちょっとー!」
美鈴が目をこすりながら叫ぶ。
「力づくで振ると自分が危ない。焦るな。早く振ろうとするほど、体が遅くなるぞ」
「だって、速く動かないと切れない気がして…」
「速さは結果だ。速くしようと思わなくていい」
庵天先生の木刀が描く軌跡に光が走る。
音はしないが、確かに切れたとわかる動きだった。
太児は息をのんだ。
「今の…風が切れたみたいでした」
「お、感じたな」先生が笑う。
「敵を想像しなくていい。自分の動きを正しくするんだ」
拳二は、もう一度姿勢を正した。
美鈴も顔の砂を払って笑う。
「次は、ちゃんと当てずにやってよね」
「悪かったって!」
そういう美鈴が勢いよく刀を振り下ろし、バランスを崩した。
「わっ!」
木刀の先が地面に当たって跳ね、太児の足元をかすめた。
「うひゃっ!」と太児が飛び跳ねた。
「ごめん!太児、大丈夫?」
「うん、平気」
太児は笑って答えたが、心臓がドキドキしていた。
庵天先生は全員を集めた。
「危なかったな。人がどんな動きをするのか予測するのは難しいが、いろんな可能性を考えて、自分の立ち位置を考えるといい。恐れることはないが、気を抜くと危ない。油断大敵だ」
切る練習の後は突く練習だ。
切るのは得意だった晶も、突くとなるとうまくいかない。
「手だけで扱うんじゃない。全身を使うんだ。刀は体の一部、延長だ。手を放して飛ばすなよ」
拳二が質問した。
「敵のどこを切ったり突いたりするの?」
「使い方はまだ意識しなくていい。拳もそうだが、正しい形を体に覚え込ませれば、使い方なんて、その場その場で閃くようになる。イメージするとしたら、敵は案外近くだってことだな」
そう言って庵天先生が、刀を構えて拳二に歩み寄った。
「わあ、こんなに近いと、当たるじゃん」
「やってみな」
拳二が庵天先生を突こうとすると、スルッと刀で刀を滑らせ撫で上げ、庵天先生の刀が拳二の首筋でピタッと止まった。
「こんなかんじだ」
「…怖え~」
「そうだなあ、刀と刀をひっつけて、隙間を見つけて相手を切るゲームをやってみよう。危ないからゆっくりやるんだぞ」
太児と拳二、晶と美鈴が組み、刀で押し合いへし合いを始める。
「おーい、刀なんだぞ。それじゃ自分を切ってるぞ」
強引に押そうとして、ひっくり返る拳二。ちょんちょんと恐る恐るの美鈴。
「なんだか推手に似てるね」と太児。
「そうだ。武器があろうとなかろうと、同じ感覚だってことに気づけば、上達は早い」
「これで、包丁振り回したら敵なしやな」
「それはやめとこうね、晶ちゃん…」
「あんたらも料理しいや」
「お母さんのお手伝いもする!」
賑やかに楽しい刀術の練習になった。
練習もひと段落。
水辺にしゃがんだ美鈴が、湖の水をすくって顔にかけた。
「気持ちいい!」
拳二は水を跳ね返し、晶が仕返しで桶いっぱいに水をすくってかける。
太児は笑いながらそれを見ていた。
夕陽が湖面を金色に染め、木刀の影が長く伸びる。
湖の向こうで、鳥の群れが一斉に飛び立った。
刀が空を切る音のようだった。

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