この物語はすべてフィクションです。
第五十七話 高校生になった太児のこと
朝、制服のネクタイを結びながら、太児は鏡の前に立った。
背はそこそこ伸びたが、平均よりは低いかもしれない。体重は、少し平均を上回っているかも。
「もう高校生なのねえ。ネクタイ似合うわよ」
お母さんに言われて、嬉しいような照れくさいような感じだ。
春の光が差し込む玄関。
新しい靴を履き、新しい通学鞄を持って、表に出た。
太児は、三年前の雪の日を思い出していた。「二週間で戻る」と言ったきり、庵天先生はまだ帰ってきていない。猪肉も食べつくしてしまった。
「お父さんと先生、どうしてるんだろうなあ…」
遠くで電車の音が鳴る。
あたたかな風が吹き、アスファルトの上を、桜の花びらが、流れる。
駅前で、拳二に会った。
「おはようっす、太児」
「おはよう~」
拳二は太児より背が高い。スラッとしているが筋肉質。中学生生活では、さわやか笑顔が女子に人気だった。
「美鈴は?」
「なんか、お化粧してるみたい。先に行っといて、だって」
「ハハハッ、何を張り切ってんだろな!」
「生徒会に入って、学園を牛耳るって言ってるよ」
「美鈴らしいや。おれは、少林寺拳法部に入るよ」
「へえ、少林寺拳法部があるんだね! いいなあ。太極拳部はないみたい。ぼくは帰宅部かなあ」
太児と拳二、美鈴は同じ高校に進学した。
同じ駅から電車通学をする。
ホームに電車が入ってくるのに合わせたかのように、美鈴が走ってきた。
「おはよう! 間に合った~!」
「初日から慌ただしいなあ」と太児。
「どこを化粧したんだよ。何も変わってないぞ」と拳二。
「うるさいっ! 舐められないように気合入れてんのよ!」
「別に、マウント取らなくていいじゃん」
「気合より、心のゆとりの方が大事だと思うなあ」
そういいながらも、ちょっと大人びた美鈴の横顔に、ドキッとする太児だった。
「晶ちゃん、違う学校になっちゃって残念ね」と、美鈴が拳二に言う。
「晶は、学生起業家になるそうだぞ。商売が好きなんだよ」
晶一家は、剛家の経営するアパートに住んでいた。父親のテツは、あいかわらずトラブルメーカーで、なかなか定職におちつかないようだ。母親はパートで働いている。
「晶は、家族の働く場を、自分で作るつもりなんだよ。商店街の空き店舗を借りて、食堂にしてヨシ江おばさんに店長をさせて、ボランティアを募って子供食堂もやって、晶は商店街のイベント支援を請け負い、テッちゃんには移動屋台を引っ張らせながら、地元ローカルグルメの食レポ動画配信をさせるんだって。コテコテの大阪弁で、好き放題に喋らせて、時々喧嘩させたら、バズる、みたいなことを言ってら。フードブランドや、オンライン料理教室も立ち上げるそうだよ。なんだかよくわからないけど、あいつはすごいよ」
「たくましいわねえ。私も負けないように、学園を仕切るわ」
「学校を仕切って、何すんだよ…」
「将来、国際的に活躍するであろう、優秀な生徒達を今のうちに手なずけておくのよ。日本を強くするために、長期目線で考えてるのよ、私は! そういう拳二は、何するのよ」
「俺は、少林寺拳法で全国一を目指すよ。アクションスターになりたいから、代々木アクション学園にも通おうかな」
「子供じみてるわねえ」
「なんだと!」
「もっと人類に貢献するような大きなコミットを持ちなさいよ」
「むむむ、高校生にしたら上出来なコミットだと思うんだけどなあ…」
拳二は、降参したといった顔だ。
「太児は、どうするのよ?」
自分に振られて、太児はちょっと固まった。
「うーん…。とりあえず太極拳は、もっと上手になりたいかな…」
「庵天先生もいないし、大会なんかも出ないんでしょ。太児はピアノが上手なんだから、そっちで頑張れば?」
「上手っていっても、音大を目指せるほどでもないし…。お母さんも音大はやめときなさいっていうしね」
「本当はどうしたいの?」
「…お父さんと庵天先生を探しに行こうかな…なんて…ははは」
太児が力なく笑うと美鈴がぴしゃりと言った。
「当てもなく行ったってしょうがないじゃない」
「わかってるけど…」
「待つしかないだろ」
「そうだけど…」
駅についた。駅から山道を15分登ると高校だ。
「毎日、登山だと鍛えられるなあ」と拳二がいう。
「有意義な3年にするわよ!」と美鈴は意気込む。
「そうだね…」と、同調する太児。
クラスではオリエンテーションがあり、担任の先生から学校生活のルールや、年間スケジュールが説明され、教科書が配られた。
そして、全員が、自己紹介。40人ほどだが、覚えきれない。
中学でも一緒だった、伊東道戒も同じクラスだ。
講堂では、クラブ活動の紹介があった。さすがに高校にもなると多くのクラブ活動がある。
ユーモラスな寸劇のようなクラブ紹介が多い。
拳二が入部を決めている少林寺拳法部は、二人で演武を披露した。白い道着の上に黒い法衣を着て、なんだか海苔巻きせんべいのように見える。
へー、拳二もあんな格好をして、来年あたり、ステージの上にいるのかな? なんて想像する。
生徒会の紹介もあった。
委員会と連携して、文化祭や体育祭を運営したり、ボランティア活動をしたり、活発に動いているようだ。他校との交流もあるらしい。
でも、学校を仕切るって、よくわかんないな、と思う。
初日の行事が終わり、せっかくだから学食でも見に行こうかなと、講堂を出た途端、クラブ勧誘の先輩たちに取り囲まれた。
「きみきみ、もう入るクラブは決めているかい?」
「男なら裸一貫、相撲部にぜひ!」
「剣道部へ!」
「空手部へ!」
体育系は、それぞれのユニフォームを着ていて、何のクラブか一目瞭然だ。武道系も充実しているようだ。
「知的な君、文芸部にぜひ! 小説を書いてみないか?」
「未来のノーベル賞! 化学部・物理部へどうぞ!」
「日本の伝統、囲碁将棋部はいかが?」
「合唱部は男が少ないから、モテモテだよー!」
文科系も熱心に誘ってくる。左右から声をかけられ、ボヤッとしていると、連れていかれそうだ。
「こちら野球部、マネージャー募集中! 甲子園にいこう!」
部員でなくマネージャーを勧誘しているクラブもある。人気のスポーツは勧誘しなくても入ってくるのだろう。
「俺は少林寺拳法部に入りまーす」と宣言する拳二。
「おおおーっ!!」と驚いたような歓声が上がる。
自分から入部する生徒が少ないのかもしれない。
「経験者かい? じゃあ、さっそく一緒に勧誘を手伝ってくれ!」
入部する前から、勧誘側に回されてしまう拳二。
「きみ! 柔道部に入らないか! 柔道体型だよ!」
柔道体型ってなんだ? と思いつつ、
「いえ、ぼくは、いいです…」と逃げる太児。
「帰宅部なんてありえないよ! 青春を謳歌しようぜ!」
喧騒の中、太児は、身をかがめて人込みをすり抜け、校門を脱出した。
「ふう、大変だなー」
美鈴は、生徒会の部室にでも行っているのかもしれない。
ひとりで帰りの電車に乗った。
「おや、太児君は帰宅部ですか?」
「あ、道戒君。君も?」
「私は、自宅がお寺ですから、本堂の掃除や座禅、読誦(どくじゅ)などの修行があるのです。クラブ活動みたいなものですね。今日は法事の準備の手伝いです」
「そうかあ。もう進路が決まってるんだね」
「縁に導かれているのです。…因果応報かもしれませんが。ふふっ。受け入れると心は平安です」
「そうなんだ…」
「迷いがありますね」
「うーん。みんな自分のことを決めて進んでいってる。なんだか取り残されている気分なんだ」
「煩悩はだれにでもあります。…心こそ心迷わす心なれ、心に心ゆるすな心。お釈迦様の教えです。答えはそのうち見つかりますよ」
道戒は、太児より一つ前の駅で「では、また明日」と言って、電車を下りた。
これまで、あんまり話したことがなかったけど、いい友達になれるかもしれないと、太児は思った。

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