この物語はすべてフィクションです。
第五十三話 父の出張と台湾の杜毓澤のこと
太児の父の侠太郎は、海外出張とのことで、家を空けていた。
会社の取引のために台湾へ行くとのことだった。
これまでも一週間や二週間、お父さんが海外出張に出かけることはよくあった。
出張先から、その国らしい絵葉書が届くのは、ちょっとした楽しみだった。
お土産はもっと楽しみだ。
だけど、今回は絵葉書も電子メールも、送られて来ない。
「お父さんはまだ帰ってこないの?」
「今回は長いわねえ。忙しいんじゃない?」
お母さんは心配している風でもないし、太児もいつものことだとは思うのだが、今回に限って、なんだか気がおちつかない。
お父さんは、庵天先生を昔から知っていた。
庵天先生は、日本を守るための秘密組織の人だった。ただの武術の達人じゃなかった。
お父さんの本当の仕事って何だろう。
お母さんは知らないのかな?
お父さんとお母さんって、どうやって知り合ったんだろう?
心を静めようと、ピアノに向かった。
「月の光」を弾く。今夜は美しい満月だ。
ピアノの上に置いていた木の玉が、青く光った。
夜明けだった。
美しい満月が見えていたはずだが、なんとなく、空気が粉っぽい。
どうやら、都会の街中のようだ。
ビルの谷間から、太陽が顔を出し、明るくなってきたが、なんだかモヤッとしている。
マスクで口を覆った人たちが、スクーターに乗って、交差点を行きかう。
排気ガスをモクモクはきながら、古いスタイルの自動車が走る。
クルマは道路の右側を走っていて、ハンドルは左側についている。
赤煉瓦が敷き詰められた歩道が、びっしりこびりついた赤い点々で汚されている。
信号待ちのトラックの運転手が、窓から赤いつばを吐いた。
「血を吐いてる??」
公園には、社交ダンスをしている人たち、ラジカセのカラオケに合わせて歌っている人たちが大勢いる、朝市の準備も忙しそうだ。
そして、太極拳をしている人たち。公園の中心広場で20人ほどの人が円を作っていた。
輪の真ん中で、ジーパンにスニーカー、紺の長袖Tシャツ、ハンチング帽をかぶったオシャレな老人が、套路を演じていた。
歳は…東山先生くらいだろうか?
周りの人たちは、老人の動作に合わせて太極拳をする人、おしゃべりしている人、猫と遊んでいる人など、さまざまだ。
「ぼくの習った太極拳と、なんとなく似ているけど…、ちょっと違うような…」
太児が老人を遠巻きに眺めていると、輪の中からおばさんが、声をかけてきた。
「ぼうや、興味あるんなら、私たちと一緒にやりなさいよ」
「え、ええ? でも、ぼくの知っているのと違うみたいだし…」
「おや、あなた太極拳ができるの? 違ってたっていいのよ。楽しくやればいいんだから」
「そうそう、日の出とともに太極拳。健康の秘訣よ!」
おばさん達に引っ張られて、太児は、輪の中に入れられてしまった。
「おや、見慣れない子じゃな。子供は歓迎じゃよ! 一緒にやったらいい!」と老人が、太児に笑いかけた。
スラッと背が高く、姿勢がいい。今までタイムスリップした時代の老人たちと違い、髭もない。
「杜毓澤(と・いくたく)先生は、90歳なのよ! こんなに元気なのは、太極拳のおかげなのね!」
「えええっ、90歳??」
「ははは。おかげさまで、いい時代まで長生きできたよ。戒厳令も解除されたしのう」
太児がやってきたのは1987年の台湾だった。
「ええっ、戒厳令って…今まで戦争だったの? それで道が血まみれだったのか…」
「馬鹿ねえ、あの赤いのは檳榔(ビンロウ)を嚼んで吐き捨てた跡よ。紙タバコみたいなものね。マナーのない人たちがそこらじゅうでペッペやるのよ。いやよねえ」
「ビンロウを知らんとは、ぼうやは他所から来たのかね?」
「う、うん…。日本から…」
「ほう、日本から? そうかそうか、日本人は友達だ。歓迎するよ」
勢いに押されて、みんなと一緒に套路をやってみる。
「ぼうや、なんだかサマになってるじゃない。日本で習ってたの?」
「う、うん、ちょっとだけ…」
「なんだか私たちの太極拳とは、ちょっと違うわね」
「ほんと、ちょっと見せてちょうだいよ」
「見せて、見せて~」
パチパチパチ。
拍手に押されて、引っ込みがつかない太児。輪の真ん中に押し出されてしまった。
しかたなく、庵天先生から習っている太極拳の套路を、やってみた。
起勢、金剛搗碓、懶扎衣、六封四閉、単鞭…。
ゆっくり、丁寧に…。
「あら、上手じゃない!」
「小さいのに堂々としているわね!」
「ちょっと地味な感じだけど!」
長老みたいなおじいさんの前で、恥ずかしいなと思いながら、杜毓澤と呼ばれた老人をチラッと見てみると、老人は、静かに涙を流していた。
「えっ」と戸惑う太児。
周りのおばさん達も、戸惑っている。
老人が静かに口を開いた。
「それは陳家溝の老架式じゃないか…。わしが若い頃、陳延熙老師に教わったものじゃ…」
杜毓澤老人が、休憩を宣言し、昔話を語ってくれた。
…皆も知っとろうが、ワシは大陸出身じゃ。陳家溝からも近い河南省博愛県の、わりとええとこの家柄のボンボンとして生まれてのう。父親の杜嚴は清朝の進士じゃった。進士というのは、科挙に合格した官僚じゃ。つまり、エリートだったわけ。
当時の名家では、護衛に武術家を雇っていたそうだ。ワシの家では、かの有名な陳発科の父親の陳延熙を雇っていたのじゃ。そんでワシは18歳の頃に、陳延熙老師より太極拳を学ぶことができた。それが、いま、坊やがやって見せた套路じゃ。太極拳の里、陳家溝で行われていたオーソドックスなスタイルじゃな。
生粋の陳氏なら、家ごとに伝承された型をやるもんじゃったが、うちは陳氏じゃないのでの。陳家溝の隣村で流行っていた忽雷架や炮捶などの一風変わった型も、興味の向くまま習うことができた。
師父の子息の陳発科は、ワシより10歳年上だったもんで、ワシは発科兄さんと呼んでおった。発科兄さんは、陳氏太極拳の指導者として北京に呼ばれて、太極拳の普及に努められた。
ワシは、大学で機械工学を専攻しとった流れから、兵器製造の技術者として国民党軍に入ったのじゃが、革命ゲリラの共産党との国共内戦があってのう。国民党は共産党に押されて、大陸から追われ、ここ台湾に逃げてきたのじゃ。40年ほど前のことじゃ。ワシもその時に故郷を離れ、ここに移住してきた。
それ以来、縁あって台湾で武術普及に尽力させてもらってきたわけ。こちらでは忽雷太極拳を教えておる。すっかり忘れておったが、若かりし頃に学んだ老架式を久しぶりに見て、懐かしく、感動してしまったのじゃよ…。
「ぼうや、名前は?」
「柔太児です」
「ほほっ、名前の通りじゃ。まだ太極拳を学び始めで、柔ばかりやっているいところじゃな。太児君にはまだ早いが、老架式を演じてもらったお礼に、太極拳の剛の面も披露させてもらおうかの」
「きゃあ、久しぶりに先生のパワフルバージョンを見れるわ!」
おばさんたちが歓声を上げた。
杜毓澤老人が、輪の真ん中に立ち、緩やかに起勢を始めた。
が、緩やかに始まったかと思ったとたん、
フンッ! パシッ!
震脚が激しく鳴り響き、気合のような息遣いが迸る。
動作の順番こそ同じようだが、同じ太極拳とは思えないほど、鋭く激しい。地面を滑り、回転し、跳躍し、激しく震える。目で追えないほど早く、とても90歳とは思えない。
「…けっこう疲れるんでの。普段はあんまりやらんのじゃ」
套路を終えた杜毓澤老人だが、息ひとつ乱れてはいない。
「す、すごいです…」
「面白いじゃろう? 最近は日本でも太極拳が盛んになっているそうじゃが、大陸の新政府が制定した、ゆっくり健康体操ばかりで、伝統的な太極拳は伝わっていないと聞く。太児君は、どこで習ったのじゃね?」
「ぼくの先生が、陳家溝村で修行したと言ってました」
「ほう、大陸の先生かの?」
「いえ、日本人です」
「ほう、物好きな日本人もおるのじゃなあ。そういえば、この台湾に学びに来た日本人もおったの。台湾は武術の宝庫ということで、蟷螂拳やら八極拳やら八卦掌やら、片っ端から勉強しとったらしい。太極拳は、ワシの弟子の徐紀が教えとったそうじゃが…。太児君は知っとる?」
「もしかして、マンガの作者の人では…?」
(※伝説的武術漫画「拳児」が少年サンデーで発表されたのは1988年。太児がタイムスリップして来た年の翌年ですね)
「ほう、武術マンガかね? 面白そうじゃな。日本の漫画は台湾でも人気じゃ。ドラえもん(小叮噹)やらブラックジャック(怪醫黑傑克)は、ワシも好きで、読んどるよ。タイムマシンがあれば、革命前の大陸に戻ってみたいもんじゃなあ」
タイムマシンと聞いて、太児はドキッとする。
「中共(中国)も民国(台湾)も、お互い相手の政府を認めとらんから、行き来できんのじゃよ。行き来してるのはスパイくらいかの? ワシの知っとる人たちは、もうあらかた亡くなっておるじゃろう。昔に帰って話したり、手合わせして楽しみたいものじゃ」
杜毓澤老人が遠い目をする。
「…発科兄さんの子供たちなら、もしかしたらまだ生きとるかもしれんのう。生きてりゃ80歳くらいか? 次男の照旭は文化大革命の時に命を落としたと聞くが…。不幸な時代だったよ…。台湾は自由で民主的になってきておるが、大陸はどうなんじゃろうの。ワシが今さら戻ることもあるまいが、気にはなっとるんじゃよ…」

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