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甲斐ない人間関係には淡泊でいよう

良いことか悪いことかと言えば、たぶんよろしくないことだと思うのですが、私はわりと人間関係に淡泊です。

来るもの拒まず、去る者追わず。

仲間だ、友達だ、バディだ、と周りの人たちは人間関係構築に一生懸命やっておられるんですが、どうも今一歩踏み込めないといいますか。

それは素晴らしいことだと思うのです。人の喜びを我が喜びとし、人の悲しみを我がことのように悲しむ、なんて豊かな人生なんだ! と思います。

でも、本当の本当の本当に他人のことを我がことのように思っているの? いやいや、疑ってはイカン! 皆さん、きっと、心の底から人を愛しているのです。

でも、私は違うんですよねー。

縁あって、協力できることがあるんならボランティアでも何でもやりますけど、疎遠になれば追いかけもしないし、恩着せがましいことも思わないし、自然に忘れる、みたいなかんじです。

私が受けた恩は、死ぬまで忘れはしない! ということもなくて、あれっ、そんなこともあったなあ~なんて、わりと恩知らずです。死ぬまで盆暮れの挨拶は欠かさない! ということもないです。

これ、日本人としてどうかなあ~? これではアカン! とは思うのですけど、自然とそうなってしまうのです。

昔はそうじゃなかったのです。人間関係には執着してました。

恋愛関係に関しては、ストーカー際々みたいな感じだったし、日頃よくしてくれた兄貴分が病気になった時は、死ぬまで付き添ってました。

会社経営のパートナーに対しては、創業時の恩義を忘れず、自分が犠牲になっても、最大の便宜を図っておりました。

でも、恋焦がれた人は知らんうちに他の誰かと結婚してママになったし、兄貴分が死んだあとは醜い相続争いを目の当たりにしたし、タカリみたいなのが現れたし、経営パートナーには、ここまで我儘、冷酷鬼畜になれるの?という思いが残りました。悲しみとか、落胆とか、憎しみでいっぱいでした。

それで、人間関係なんて、こんなもんだ。期待してもしゃあない。対等なんてもんはない、ギブアンドテイクなんちゅうのは幻想だと思うようになったわけです。

依存とか搾取とか、支配とか裏切りとか、そんなもんで世の中は回っとる、みたいな感覚になってしまいました。

精神の安定を保つためには、テイクは期待してはいかんと思うようになったのです。

見返りを求めるから苦しくなります。ギブするだけ、与えるだけ、求められたら応えるだけというのが楽です。

逆に、与えられても恩返しは考えないです。もらいっぱなしです。何日以内に半返し、みたいなことを考えていたら、せわしいし、しんどいです。

求めるときは、恩返しとか考えないで、一方的に求めます。それに応えてくれる人でないと人間関係が続かないです。

そんなわけで見返りを期待して、私に接する人はいなくなりました。私も、見返りを期待しての人付き合いはしません。

付き合いたいか付き合いたくないか、気持ちが第一です。商売は別ですけど、銭儲けより、気持ち優先のところはありますね。

子育ては、見返りとか関係ないですね。元取ったろう、なんて思いで子育てをする人はいないでしょう。私は、その感覚を他の人にも当てはめております。

ただし、見返りとか損得勘定ではないですが、甲斐のあるなしはあります。

情熱的な人とか、楽しい人、関係を大切に思ってくれている人なら、甲斐があるので時間を使ってもいい気分になります。

太極拳を教えて、上手になったからって、なんかくれ、ということもないですが、上手になったら私が嬉しいです。教え甲斐があります。教えることで、私自身の勉強になるという喜びも感じてます。

甲斐がなければ、お近づきになろうと思わないです。合わない人は去っていくし、それでよいです。

私も学ぶときは、師に甲斐を感じてもらえるよう、目いっぱいがんばっております。あえて言えば、それが恩返しかも。

なんでこんなことを書いているかというと、心の整理です。

現在、家族関係はうまくいっているし、太極拳や武術関係では、すごくやり甲斐があるし、リスペクトしてもらえているし、学びへの情熱も最高潮です。

経営者育成団体でも、重鎮というほどでもないですが、責任ある立場、甲斐あるポジションで頑張っています。

でも、そうでもない古い付き合いもあるんですよね。いいように使われているだけ、大切にされてもないし、頑張るほどに頭を押さえられてるように感じて、甲斐がなくなってます。

わりとなんでもかんでも受け入れる私ではありますが、さすがに私の人生の時間も無限ではありません。(あと100年しかないのです。)

あれもこれもやること、やりたいことはあるし、達人への道が明確に見えてきた現在、そこに懸ける時間も膨大になってきました。

甲斐ないことにかまけている余裕はなくなってきたのです。これまでの慣習でズルズル付き合って、再び、悲しみとか、落胆とか、憎しみに溺れたくないですしね。

そっち方面の関係者各位には申し訳ない気持ちもあるにはありますが、選択して決断する時期を逃してはならぬ、という気分なのです。

というわけで、遺恨のないよう、そーっと静かに距離を置く、という戦法を実行中です。

(このブログを読んでくれている方に当てはまる話ではないので、ご安心くださいませ。自分に対する決意表明です。)

パパだよ:
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