この物語はすべてフィクションです。
第四十話 抗争や後悔のこと
「特別永住者って?」
「戦前から日本に住んでた朝鮮人と台湾人、その子や孫のことだ。前の戦争中は、朝鮮も台湾も日本が統治してたもんで、朝鮮人も台湾人も日本国民だったんだな。ところが日本が戦争に負けて、朝鮮半島や台湾は日本の領土ではなくなった。在日朝鮮人も在日台湾人も日本国籍じゃなくなってしまったわけだ」
「勝手に国籍が変わってしまったんだね」
「でも、既に日本で暮らしていた人たちだからな。それで永住が許可されて、特別永住者ってことになったんだ」
「じゃあ、ヒーローさんは日本人ではないんですか?」
「外国人なのか日本人なのか?って聞かれると、ちょっと困るよなあ。名前は、韓国名と日本名があるよ。だけど、俺のじいさんばあさんの代から、日本で暮らしてるし、俺は日本語しか話せないし、和食が好きだし、香取大明神を拝む大和魂だ。北朝鮮にも韓国にも行ったことがない。でも国籍は韓国だ」
ヒロは肩をすくめた。
「地元には同じような韓国籍の人が、たくさん住んでいたんだ。上の世代は、朝鮮風の生活をしていたから、まわりの地域とはちょっと違った独特の文化風習があった。いわゆるコリアンタウンだな。通りに出れば、屋台のおばちゃんがトッポキをくれたり、肉屋の怖いおっちゃんが、誕生日に焼肉セットくれたりしてな…」
ヒロの顔が、子どものような笑顔になった。
「祭りの日は最高だった。太鼓と歌と屋台の匂いで、町全体が楽しかった。俺の中で、あそこは世界でいちばん楽しい場所だったんだ」
遠い目をしていたヒロが、ニヤッと笑った。
「俺の子供の頃は、悪ガキが多かったよ。自転車で商店街を爆走して色々ひっくり返したり、学校のプールで夜中に勝手に泳いだり…」
太児がビックリして、目を丸くする。
「そんなうちは可愛いもんだったが、中学入る頃には、町の兄ちゃん連中のグループに出入りするようになった。ケンカは強い方だったし、生意気だから、よく可愛がられたな」
ヒロは苦笑いした。
「最初はただの悪ガキ集団だった。タバコを吸って、夜の公園で意味なく集まり、在日の誇りを守るんだとか言いながら空回りしていた。そのうち、別のグループとトラブルを起こして、口ゲンカからぶつかり合いになって、本格的な抗争になっちまった」
ヒロの声が沈む。
「ナイフを持つヤバイ奴もいた。俺も強がって、仲間の後ろにくっついて走り回ってた」
庵天先生が真剣な目を向ける。
「ヒロ、無理に話さなくてもいいぞ」
「大丈夫だ。…もう向き合い終わったことだからな…その抗争の中で、乱闘になった。バットやら木刀やらナイフやらチェーンやら、しっちゃかめっちゃかだ。仲間には斬られた奴もいた。俺も、鉄パイプをぶん回していた。刺されて死にたくないからな。だけど、当たった奴の当たり所が悪かったらしい」
太児が息をのむ。
「…」
ヒロは小さく頷いた。
「そうだ。その瞬間、俺の世界は全部ひっくり返った」
「俺は逮捕されて、少年院に入った。辛い日々だったが、自分がどう生きるかを考える場所でもあった」
ヒロの目が遠くを見る。
「武術って何だ、暴力ってなんだって、色々考えた。もし当時の俺が、庵天みたいにもっと強かったら、鉄パイプなんか使わなかったかもしれない。強がっていたけど、自信がなかったんだ」
庵天先生が静かに言った。
「俺だってその場にいたらどうしてたかわからんよ…」
「そうだ。どうすりゃ良かったのか、いまだにわからんよ」
ヒロは、コーヒーをすすった。
太児の脳裏に、別の光景が戻った。
馬に乗って、刀を振り上げて迫る盗賊の男。
頭の上で受け流して、真横に斬った。重い手ごたえ。
目の前で倒れる馬と盗賊。
血飛沫。
「…」
音が遠のいた気がして、太児は震える手を握りしめる。
「太児…どうした?」
庵天先生が、ゆっくりと太児の肩に手を置いた。
「…向こうの世界で何かあったんだな」
太児は、震える声でようやく言った。
「…ぼくは…人を斬った…」
ヒロは驚きながらも、太児の目をまっすぐ見つめた。そのまなざしは、責めるものではなく、静かな深さを湛えていた。
「ぼくは…戦うつもりもなかったんだけど、馬で突っ込んでくる盗賊が刀を振りかぶって…気づいたら、刀を振って…」
言葉は途切れ、呼吸が乱れそうになる。
「太児。戦場で生きるか死ぬかの場に立たされた者が、冷静でいられるはずがない」
静かだが、揺らぎのない声だった。
ヒロが、そっと太児の前に身体を傾ける。
「俺だって、当時は目が回るようでさ。怖いのに強がって、訳もわからず走り回って…後になってから全部押し寄せるんだよな」
太児の指が震える。ヒロは続けた。
「太児、お前は今、その重さをちゃんと感じてる。それは…逃げてないってことだ」
ヒロの声が胸にしみこんでくる。
庵天先生がゆっくりと太児の横に腰を下ろす。
「お前は自分の命を守ったんだ」
太児は小さく瞬き、わずかに頷く。
「それでいいんだ」
庵天先生は優しく言った。
「お前は、誰かを守ることができる」
太児の呼吸が、少しだけ落ち着く。
「俺もな、後悔は消えない。でも、それが生き方を決めた。太児、お前もその先を見ればいい。何があったか、よくわからんけど」
「ありがとう、ヒロさん…先生」