この物語はすべてフィクションです。
第三十九話 太極拳と極真空手と特別永住者のこと
「まあ、休憩としようぜ」
ヒロがバッグから小さな金属部品を取り出して、カチャカチャと広げ、黄色いボンベにつなげて岩の上においた。
「それも武器?」
「これは、市販のキャンプ用コンロだ。サバイバルでも役に立つぞ」
コンロにポットを載せ、火をつけ、湯が沸いた。
「太児は、コーヒーはいけるのか? 紅茶、緑茶、ウーロン茶、ジャスミンティー、ルイボスティー他、各種ティーバッグがあるぞ」
「そういうところも凝るよなあ」
「人の喜びが我が喜びだ」
「ぼくもコーヒーをいただきます」
「おっ、通だねえ」
ブラックコーヒーは、苦かったが、大人の仲間入りをした気分になった。
「そういえばよ、太児」
トヨが、松の木に寄りかかってニヤッと笑った。
「俺と庵天が初めて会ったときのこと、聞きたいか?」
「えっ、先生の子どもの頃!?」
太児の目がキラキラした。
庵天先生は、ぼそっと言った。
「余計なことを話すなよ、トヨ」
「いやいや、弟子としては知っとくべきだろう? 師匠の黒歴史を」
「黒歴史じゃない」
ふたりの会話は、なんだかテンポがいい。
「俺は子供の頃、空手道場に通っていたんだよ。フルコンタクト空手の極真会館だ。知ってるか? 空手バカ一代」
「…知りません」
「俺たちの世代にはバイブルだったんだがなあ…」
「俺のバイブルは拳児で、アイドルは、ブルースリーとジャッキーチェンとリーリンチェイだった」と庵天先生が言った。
「わかるかなあ。わかんねぇだろうナア。お前もマニアだよなあ」
「俺たちのは古すぎるが、子供が武術に憧れる動機って、そんなもんだろう。生まれた時から武術の里で暮らしていたなんて奴はそうはいないよ」
ヒロが、コーヒーをちびちび飲みながら話を続ける。
「太児が武術を始めた動機はなんだ?」
「えっ、お母さんに言われたから…」
「アイドルは?」
「えっ、とくにいません…」
「つまんない奴だなあ。さてはマジメ君だな。俺はイタズラ大好きな、怖れ知らずの悪ガキだった。道場の師範が油断してるところを、後ろからカンチョーしたことがある。えらいおこられて、巻き藁付きを100本やらされた。そんなことばっかりやってたから、拳はボコボコだ」
ヒロが見せた拳骨は、拳面が盛り上がって平らになっている。
「殴られたら痛そうですね」
「瓦を9枚でも割れるぞ。苦を割るって縁起担ぎで、友達の結婚披露宴でよくやったもんだ」
「へー。すごい!!」
「失敗して手を切って血まみれになったことがあったが、紅白でめでたいとか言ってごまかした」
「…」
「いかにも、青春だろう」
「…」
「庵天に出会ったのは中学生の頃だ。空手仲間と、カンフー狩りをやってたんだ」
「カンフー狩りって?」
「当時はよく口ばっかりのへなちょこ中国拳法マニアが、公園であーだこーだと蘊蓄を語ってたんだよ。うっとうしいから懲らしめに回ってたんだ。それがカンフー狩り」
「…近寄らなければ、うっとうしくもなかったのでは…」
「小学生が正論を言うなよ…。まあ、腕試しみたいなもんだ。だけど、余りにへなちょこな連中ばっかりで、練習にもならなかった。ところが…」
「これって、お前の黒歴史だろ」と庵天先生が口を挟む。
「まあ、いいってことよ。俺は連戦連勝で調子に乗ってたんだが、初めてカンフー野郎の反撃にあった」
「それが、庵天先生ってこと?」
「そうだ。それまでの連中とは全然違っていた。他の連中は目立つところで、これ見よがしにやっていたんだが、そこらは全部成敗したもんだから、森の奥の方まで成敗に行ったんだ。そしたら、ひとりで黙々と地味な動きをやっている奴を見つけた」
「あの時は、八極拳のまねごとをしていたかな。覚えられなくて、ヘタなのが恥ずかしかったから、隠れてやってたんだ」
「中国拳法なんて舐めてかかっていたから、つかつかと寄っていって、成敗!って叫びながらローキックをかまそうとしたんだ。そしたら、いきなり全然違う動きだ。ふわっと近寄られたと思ったら、俺は宙を浮いてた」
「いきなり、なにすんだと思ったよ」
「ビックリして、正拳突きの猛ラッシュをしたんだが、当たっても手ごたえがない。それどころか、ふんわり抑えられて、地面に転がされた」
「マンガで読んだ、かっこいい突き蹴りに憧れて、八極拳を練習していたんだが、いざとなったら、そんなめんどくさいことはやってられない。日頃習ってた太極拳が出た。当時、東山先生に推手を習ってたんだ。太児は前に会ったろう?」
華やかな表演の舞台から離れた小さい部屋で、東山先生の手ほどきを受けた事を思い出した。
「空手の突き蹴りは強烈だからな。付け焼刃でマトモに打ち合いなんかしたら、とても敵わない。だが、推手で防ぐことができた。それで、八極拳はやっぱりやめて、太極拳に専念することにしたんだ。ま、太極拳の方が合ってたんだな」
「先生はそんな昔から太極拳をやってたんですね」
「とはいっても、東山先生オリジナルの太極拳だ。当時の日本に伝統的太極拳を学べる環境はなかった。東山先生は、苦労していろんな先生に習いにいったり、合気道や少林寺拳法も研究して、太極拳を追求していた。俺の太極拳のスタートは東山先生だ」
「そうだったんだ…。ヒーローさんは子供の頃から空手なの?」
「ああ。空手バカ一代で知った大山倍達総裁が、実は朝鮮出身だと知って、親しみを覚えたんだ。俺も韓国籍なんでな。韓国語はできないけど」
「えっ? ヒーローさんは外国人なの?」
「外国人のような日本人のような…。特別永住者なんだよ」
「特別永住者??」