この物語はすべてフィクションです。
第三十四話 刀と血飛沫と生き延びる術のこと
夜、家の布団の中で、太児は考えていた。
武術の練習は楽しい。
だけど、刀は本来、人を殺すための道具だ。剣道では、そんなことを考えたことはなかった。
でも、庵天先生の刀術は、本当に人を斬ってしまうようなすごみがあった。
昔の戦争で、陳家の武術家が、日本軍と戦った話も聞いた。陳家にとって日本人は敵だったのだろうか?
太児がうとうととしたとき、珠が青白い光に包まれた。
馬が嘶いている。
夜明け前の薄暗い空。
埃っぽい風。
血の匂い。
ドカッドカッと馬が走る。
太児は馬にまたがっていた。甲冑をつけて、手には大きく反った細身の刀を持っている。
「えっ?? ここはどこ? 私は誰??」
太児の前にも馬が走っている。やはり甲冑をつけ、刀を持った兵士が乗っている。
「太児! ワシから離れるな! ついて来い!」
振り返った男は、いかつい顔で顎髭が長い男。
「だ、誰?」
「見覚えがあろうが!」
見覚えはなかったが、ニヤリと笑う声に聞き覚えがあった。
「陳王廷老師? 若い!?」
「前に言ったろうが…ワシは時を自在に操れるのじゃ」
「ここはいったい?」
「この時代、中華の世は乱れておる。戦乱が起きて、平和で豊かだった明も、もう終わりじゃ。万里の長城が破られて、蒙古から女真族が入ってきた。次の世は満州人が支配する清の時代になる。秘密結社が反清復明を唱え、血みどろの争いの世になるのじゃ。ドサクサ紛れに盗賊が横行しておるから、ワシは防衛隊長として温県全域を守っておる」
「なぜかぼく、刀を持ってるんですけど…」
「庵天から習ったろう。刀は猛虎の如く、剣は飛ぶ鳳凰の如く。虎だ! お前は虎になるのだ! ガオーーッ!!」
陳王廷の向かう先には、十人ほどの馬に乗った野蛮な感じの集団がいる。
彼らは陳王廷を見ると、恐怖に満ちた顔色で、弓に矢をつがえた。
ピュン、ピュン、ピュピュン!
矢が次々と飛んでくる。
「ははは。なんじゃそりゃ、箸でも投げておるのか!」
陳王廷が刀を振るうと、飛んでくる矢が、スパスパと真っ二つになり、上下左右に分かれて散らばっていく。
「太児! ワシの真後ろにおれば、矢は当たらん。ついてまいれ!」
陳王廷はたちまち集団の中に突っ込んだ。
太児は、陳王廷の後を必死でついていくと、前から飛沫が飛んでくる。
赤い。
血!?
後ろを振り返ると、次々と、盗賊たちは馬から落ちていくのが見えた。
「殺したの?」
「大丈夫じゃ。苦しんではおらん」
「…」
一群の間を通り抜けると、陳王廷は、馬の頭を返して、再び盗賊どもに向かい合った。まだ馬に乗っている盗賊の人数は、さっきの半分だ。
「どうじゃ、太児、奴らの相手をやってみるか?」
「ええーーっ、そんな、無理無理無理無理!!!!」
「ほい、ひとりきたぞ」
必死の形相の盗賊の一人が、猛スピードで、太児に向かって迫ってきた。頭上に大きく振りかぶった刀を、力任せに、太児の頭めがけて振り下ろす!
「太児、風巻残花(フォンジュアンツァンホア)だ!」
太児は思わず、刀を頭上に上げた。
振り下ろされた盗賊の刀は、すべるように後ろに流れた。その勢いのまま、太児が刀を横に薙ぎ払う。
重い手応えがあった。
「太児、目を閉じるな。まだ来るぞ!」
すれ違いざま、盗賊はすぐに振り向く。盗賊は肩から血を流していたが、刀を左手に持ち替えた。
そして再び猛然と太児に突進し、左手に持った刀を太児に突きだした。
刺された! と思った瞬間、目の前をキラリと光った刃が下から上へと通り抜けた。
ドーンと音がして、盗賊の馬が倒れる。
「危なかったのう。太児」
陳王廷の馬が、盗賊の馬に体当たりしたのだ。
ザクッ。
刀が地面に刺さった。腕の中程ですっぱり平らに切れた左手が柄を握っている。
太児が危機一髪のところで、陳王廷が、盗賊の腕を切り落としたのだ。
「ああっ!!」と叫ぶ太児。
だが、盗賊の男は声も上げない。
残った盗賊どもは、観念したのか、遠ざかっていく。
逃げる盗賊どもに目をやりながら、陳王廷が言った。
「腕は痛みは、瞬きする程度の間じゃ。首も一緒に刎ねたからな。苦しむ間もない。どちらかといえば、お前の斬りつけた肩の方が痛かったろうよ」
「こ、こ、殺したの?」
「殺さねば、殺されるからの。それが戦じゃ。生き延びるための術が武術じゃ」
「武術は生き延びるための術…」
「精神修養とか、健康増進とか、のちの時代になればいろんなオマケがつけ足されるじゃろうが、そもそも武術とはそんなもの。ゆめゆめ忘れるべからずじゃ」
太児は、気が遠くなるような気がした。
朝の光が障子を透かして、太児のまぶたを照らした。
鳥の声。
遠くで母の話し声。
夢だったのか――。