この物語はすべてフィクションです。
第三十二話 テツと庵天先生と刀とリンゴのこと
祭りの喧騒が遠のき、境内には提灯の明かりが目立つようになった。
屋台の片付けをしていたテツに、庵天先生が声をかけた。
「テッちゃん…立派にやってるな」
「食うために、何でもやるだけやで。ワシ難しいことはでけへんからな」
「いや、商売に簡単なもんもないだろう。俺にはできんよ」
「先生、まだ帰らんのか?」
「余韻に浸っている。祭りというのは、終わりの静けさがいいな」
「アフター・ザ・カーニバル、後の祭りっちゅうわけやな。ワシもこの時間は好きやな」
テツは少し黙ってから、先生を見た。
「先生、前に会うたこと、おましたかな?」
「倉庫であったじゃないか」
「いや、もっと前に」
「…いや? どうして?」
「なんとなく、見覚えがある気がすんのや。昔、港で密輸の売人と揉めた時に、先生みたいな人が止めに入ったことがあったんや」
「密輸? 心当たりがないでもないな…」
「あれもC国マフィアやったと思うで」
「なんでそんなところにいたんだ?」
「ワシ、昔、港町の何でも屋やったんや。荷運びから始まって、あっちの筋の連中とも顔を合わせることがあった」
「なるほどな」
「あの日、止めに入った人の声、今でも耳に残っとるんや」
「……それが、俺の声に似てると?」
「似とる、っちゅうか……同じに聞こえる」
「まあ、俺かもな」
庵天先生がニヤッと笑った。
「子供ら、みな熱心にやっとるな。先生みたいになりたいんやろな」
「男の子は、強くなりたいって気持ちに正直だ」
「晶も、強くなりたい言うてたわ。あいつ、すぐ手ぇ出すから危険やで」
「それも悪くない。守りたい気持ちが武の始りだ」
テツはしばらく黙り、夜空を見上げた。
「やっぱり初めて会った気がせえへんのやなあ」
「縁というのは、そういうものだ」
二人は軽く笑い合い、夜風が静かに吹き抜けた。
その向こうでは、太児たちがりんご飴やら綿菓子やらの食べ歩きをしている。
月が高い。焼きトウモロコシの香りの向こうに、夜露の匂いがする。
「…縁というのは、そういうものだ…」
父さんと、庵天先生の縁も、こういうものだったのだろうか。
太鼓の音がいつの間にかしなくなっていた。
太児は立ち止まり、星空を見上げた。
翌朝の湖畔は、霧が薄く漂っていた。
鳥の声だけが澄んで響いている。
太児は一人、少し早く練習場に来て、砂の上で歩法を繰り返していた。
「早いな、太児」
後ろから声がして、振り返ると庵天先生が立っていた。
釣り竿の長いケースを肩にかけている。
「おはようございます」
「おはよう。昨日はよく寝られたか?」
「……はい。遊び疲れました」
答えながら、太児は先生の顔を見た。
いつもと同じ穏やかな笑み。けれど、どこか違って見えた。
拳二と晶、美鈴が次々に集まってきて、準備体操を始める。
「先生、今日は何やるん?」
「今日は刀をやろう」
庵天先生がケースを開けると、木刀が何本も入っていた。
机の上に並べられた木刀を見て、太児は驚いた。
剣道用で使う木刀もある。ただし、ちょっと短い。
柄が逆ぞりになっているものもある。
カンフー映画でおなじみの幅の広い刀もある。銀色にピカピカ光っていて、柄の先には、赤と緑のハンカチがついている。
「これ、本物!?」
「まさか。そんなもんを持ち歩いたら銃刀法違反で捕まっちまう。表演用のステンレス刀だ。派手な音が鳴って、カッコいいぞ」
庵天先生が軽く突く動作をすると、刀身がしなって、シャキーンと澄んだ音が響いた。
「おおーっ! シャキーンって鳴った!」
拳二が目を輝かせた。
「映画みたいでカッコいいだろう。だが、これは鳴るように作ってあってな、軽く、薄く、柔らかいんだ。実際の戦闘で使えるようなもんじゃない。練習は木刀でする。本物の刀に比べると軽いが、お前たちにはちょうどいいだろう」
「でも、まだ、套路を全部やってないのに刀を覚えるの?」
「覚えるのはボチボチでいい。それより、刀で切る感覚を掴んでもらいたいんだ。太極拳の動作は、斬る感覚がないと良くわからない。拳術は、もともと武器を使うところから始まっているからな」
「えーっ、そうなの?」
「そうだ。農村の百姓が盗賊から身を守るための武術なんだから、いきなり素手で戦おうってはならない。鉈でも鍬でも斧でも鋤でも包丁でも、なんでも武器にしたろうよ。鉄砲があれば当然使っただろう。とりあえず、刀は一番使いやすい武器だ」
「前に大会で剣の舞を見たけど、違うの?」
「剣は、まっすぐで、両方が刃になっているものだ。扱いはけっこう難しい。優雅に見えるんで表演大会では人気だが、最初に練習するんなら、刀の方がいい。太極拳の型と同じ動きも多いからな。剣はベテラン向きだ。ま、リンゴ一つ切れなくったって、表演には出れるけどな」
そういって、庵天先生はリュックサックからリンゴを取り出した。
「お前たち、家で包丁を使ってるか?」
いや…という顔で、お互いを見る太児、拳二、美鈴。
晶がドヤ顔で言った。
「うちは、ホルモンでも、豚骨でも、キャベツでもバンバン切ってるで!」
「おお、いいねえ。晶ちゃんが一番上手かもな」
「木刀じゃ切れないから、こいつを使う」
庵天先生が中華包丁を取り出した。
「これも、銃刀法違反じゃ??」
「キャンプ場で料理に使う目的があるから大丈夫だ」
「そんなものなの…?」
「そんなものだ」
庵天先生が、まな板の上にリンゴを置いた。
「どれ、このリンゴを切ってみな」
「私に任せて!」
トップバッターは、美鈴だった。
美鈴はおもむろに、左手でリンゴを持ち、右手に持った包丁で、皮を向き始めた。
「できるだけ細く、途中で切れないように最後まで剥くのよ」
「違う…そうじゃない…真っ二つにしてほしかったんだ…」
「ええーっ、上手く剥けてきているのに…」
「わかった、わかった、じゃあこのナイフで剝きな」
庵天先生が、果物ナイフをリュックから取り出し、美鈴の中華包丁と取り換えた。
「こっちの方が剥きやすいわ!」
「そりゃ、そうだろう…」
庵天先生は次のリンゴをまな板に載せた。
「真っ二つにするんだね」
次の挑戦者は太児。リンゴを左手で押さえ、包丁をリンゴに押し当て、前後に押したり引いたりする。
「ダーハッハッ!!」
拳二が大笑い。
「ノコギリじゃないんだからさあ。俺に任せろ!」
拳二が太児から包丁を取り上げると、大きく振りかぶった。
「うりゃー!」
ドン。
中華包丁は、リンゴに斜めに刺さったが、リンゴは切れていない。包丁の角はまな板に刺さっている。
「あんたら、ほんまアカンタレやなあ。あっぶないし。そんなんできょうびの時代、生きていかれへんで」
晶が包丁を抜き、リンゴを置きなおした。
「こないすんねん、よう見とき」
晶は軽く包丁を振り上げ、トンと、リンゴの上から落とした。
リンゴはすっぱり左右に分かれた。包丁はきれいにまな板に当たっている。
「おお、さすがだな、晶ちゃん。無駄な力が入っていない。道具の重みを活かした素晴らしい包丁さばきだ」
「ぐぬぬ…」と拳二。
「先生もやって見せてよ」と太児がリクエスト。
「そうだなあ。じゃあ、こんなかんじでどうだ」
庵天先生は、また次のリンゴを取り出して、ひょいと頭の高さに放り上げた。
落ちてくるところで、包丁を斜めに振り下ろしたが、リンゴは、何事もなく、すとんとまな板の上に落ちた。
「?」
「空振り?」
「カッコ悪…」
「まあ、つついてみろ」
太児が指でつついてみると、リンゴはパカッと二つに割れた。
「!」
「切れてる」
「カッコいい!」
長々とリンゴの皮をむいていた美鈴も手が止まっている。
「まあ、こんなもんだ。危ないからマネするなよ」
庵天先生は、二つになったリンゴを、さらに切り、美鈴がキレイに皮をむいたリンゴもカットして、爪楊枝をぷつぷつと刺した。
「1日1個のリンゴは医者を遠ざける、という英語のことわざがある。リンゴはビタミン豊富で消化もいい。朝飯に果物てのもいいもんだ。リンゴを食ったら練習しよう」