X
    Categories: 小説

タイマン小説「太児」第二十八話

この物語はすべてフィクションです。

第二十八話 テツと庵天先生のタイマン勝負のこと

日曜日。何もなかったかのように、湖畔のキャンプ場で、庵天先生の太極拳教室が開催された。

生徒は太児、拳児、美鈴、晶、テツの5人だ。

「ずいぶんメンバーも増えたなあ。テツさん、太極拳に興味があるのかい?」

「太極拳なんちゅうもんは、おばはんらの健康趣味やと思っとたけどな。なんかおもろそうや思ったんや」

「そりゃ、意外だなあ。なんでそう思った?」

「なんちゅうても、実戦的なところやな。派手に拳骨やら足を振り回すのって、あんがい使えんもんやけど、太極拳やったらヤクザ相手でも使える思たんや。あんたの技はすごかった」

「ほう。それは見る目があるねえ。さすが喧嘩に明け暮れた人生を送ってきただけのことはあるな…っていうか、この前のこと、覚えてたのか?」

「当たり前やんけ。あんなん見て忘れるかい」

庵天先生は、妻の記憶操作術の効果が不安になってきた。

「だけど、そんなに簡単に使えるようにはならんよ。地味でつまらない練習がほとんどだが、飽きずに続けられるかなあ?」

「ワシ、もともと強かったからな。ちょっとセンスをつかんだら、すぐ使えるようになると思うねん」

「ふふっ…まあ、いいか。子供たちと一緒にやってみたらいいよ」

庵天先生は、湖に向かって立ち、足を大きく広げて、右手を上げた。

「まずは前面纏絲功(ぜんめんてんしこう)から、双手側面纏絲功(そうしゅそくめんてんしこう)、撇身捶(へいしんすい)、雀地龍(じゃくちりゅう)とやっていこうか…」

体重を右左と載せ替え、片手をグルグル回していたと思ったら、両手で空を掻き分けるような動作に移り、逆回転して、さらに地面に張り付くような低さから、両拳をワニの口のように広げる動作に変わっていった。時間にして30分。

「先生、こんな練習おもろない。しんどいばっかりやし…何の意味があるんや」

「基礎トレーニングだよ。基礎がなければ、どんな技も動作も成立しない」

「ワシは基礎体力はできとる。なんか技を教えてくれ」

「テッちゃんの考えている基礎体力は、武術で使う体力とは違う。いくらムキムキキン肉マンになったところで、武術的な力にはならない」

「先生より、ワシの方が力はありそうやけどなあ。腕相撲やったら、ワシに勝たれへんやろ」

「じゃあ、試してみるか?」

これは面白いことになったと、子供たちは喜ぶ。

「おもろそうやん。先生、テツをぎゃふんといわしたってや!」

「晶! 父親を応援せんかい!」

庵天先生とテツがキャンプ場のテーブルを挟んで向かい合い、手を組んだ。

「レディー、ゴー!」

美鈴の号令で、テツが、ガッと力を籠める。

庵天先生は涼しい顔で、ニヤニヤ笑っている。

「テツさんよ、遠慮はいらない。全力でやってくださいよ」

「フンヌー!!」

テツが、顔を真っ赤にして、歯を食いしばり、鼻息を荒げる。

「それじゃあ、さっきやった撇身捶」

庵天先生が、フッと右腕を巻き込むと、テツはテーブルにつけた肘を軸に、体ごと一回転した。

庵天先生は、ほいっとテツを引き起こす。

「なんでや?? 力が入らへんようになった!」

「そう。それが太極拳だ」

「インチキやんけ!」

「まあ、武術はそんなもんだ。正々堂々力比べなら、俺がテッちゃんに勝てるわけがない。筋肉量が違うんだから」

「…むむむ、力の使い方ってわけか…」

「まあ、そうともいえる」

「ほんだら駆けっこやったらどうや! 100メートル競走や」

晶がケタケタ笑う。

「駆けっこて…。テツ、お母はんに負けて、それがキッカケで結婚したんやろ。おばあはんに聞いてるで」

「じゃかあしい! 昔の話や。先生よりワシの方がだいぶ若い。まけへんで」

湖岸の波打ち際の砂浜に、両者裸足で並ぶ。およそ100メートル先の流木がゴールだ。

テツがクラウチングスタートの体勢になり、庵天先生は突っ立ったままだ。

美鈴が号令をかける。

「よーい。ドン!」

砂を蹴ってテツが飛び出した。

前傾姿勢で弾丸のように、進んでいく。

上々のスタート!

ところが、テツが顔を上げ、姿勢を起こして見たものは、庵天先生の背中だった。棒立ちのまま、大股で歩くように滑るように進んでいる。

半分を過ぎたあたりから、テツの手足がばらつき始めたが、庵天先生は全くブレない。差がますます開く。

「ゴール!」

テツは、ゼイゼイハアハアいいながらゴールに飛び込んだが、庵天先生は息も乱れていない。

「ははは。裸足で走るのも、気持ちいいもんだ」

「ぐぬぬ、なんでや…。ええスタート切ったと思たのに…」

「これもまあ、体の使い方だな」

「ハーハー、次は相撲じゃ。ワシは子供相撲で横綱やったんじゃ」

「子供相撲って…、ますます勝ち目ないやん」

「こうなったら意地じゃ。とことん試したる」

拳二と太児が砂に土俵を描き、庵天先生とテツが向かい合った。

美鈴が号令をかける。

「見合って、見合って~、八卦良い!」

テツのぶちかましが、庵天先生にドーンとぶつかった。庵天先生は片足を少し引いたが、まっすぐな姿勢になり、テツを受け止めている。

「うおお~」

「のこーったのこーった!」と美鈴が力づける。

しかし、懸命に押そうとするたびに、テツの足は砂を掻きだすばかりで前に進まない。

庵天先生は直立したままだ。脚が砂に潜っていくように見える。

「もういいかな? 行きまっせ~」

そういって庵天先生は、片足をゆっくり上げ、半歩前に進んだ。

前に進めた足の裏が地面に着くと同時に、テツの体は土俵の外までゴロゴロと転がった。

砂まみれになったテツが、尋ねた。

「どういうことや。なんぼ力を入れようにも、力が入れへん…」

「そう。太極拳は、相手に力を出させない形を作るんだ。相手が力を出せないんだから、力に対抗する力は不要だ。相手の力に、がっつり対抗するような、雑で大きい力に対して、正しい形を作るための精密な力を、勁(けい)と呼んでいる。糸が螺旋状に巻くような筋肉の働きなので、糸が纏(まと)う勁と書いて、纏絲勁(てんしけい)というんだ。纏絲勁を養う訓練が、さっきやっていた基本功ってわけだ」

テツはぽかんとしている。

庵天先生がにっこり笑って言った。

「わかるかなあ~。わかんねえだろうなあ~。こういうのは体で感じるしかないんだよなあ」

「先生、最後にもうひとつ試してええか?」

「なんでもどうぞ」

いうなりテツは、砂を庵天先生の顔めがけてぶちまけ、同時に拳を振りかぶって、庵天先生に殴りかかった。

砂は庵天先生のいた場所を正確に通り過ぎたが、庵天先生は身を低くしてかわしていた。右掌を目の高さに上げて、砂を防いでいる。

テツの渾身の右拳は、庵天先生の頭の上をかすめ、勢い余ったテツが、庵天先生の肩の上にのしかかる形になった。

テツは止まらず、右膝を上げつつ、右肘を引き戻す。膝蹴りと、後頭部への肘打ちの同時攻撃だ。

あっ、(先生が)やられた! と拳児は思った。

あっ、(テツが)あぶない! と太児は思った。

あっ、(先生)手加減して! と晶は思った。

あっ、八卦よい! と美鈴は思った。

庵天先生は、斜めに傾けていた体を起こしつつ、目の前に上げていた右掌を、テツの肩口に広げる。上げてきたテツの右膝の内側には、軽く指を丸めた左掌が添えられている。これで肘打ちも膝蹴りも勢いを殺された。

そして、庵天先生が、大きくなった。

足を広げ、すっくとまっすぐに立ち上がり、のびやかに広がった右掌と左鈎手。

単鞭だ。

テツは、クルクルと空中で二回転して、どさっと砂浜に落ちた。

「これか…。こないだ倉庫の中で見たのんは…」

「あのとおりじゃないけどな。まあ、原理は同じだ」

テツは砂浜に座りなおして、庵天先生を見上げていった。

「先生、参った。太極拳はすごい」

「テッちゃんの喧嘩殺法も大したもんだ。普通ならやられてるだろうよ」

「いや、ワシのんは自己流や。せいぜいそこらのチンピラ相手がええとこや。秘密組織のスパイやらなんやらに通用するもんとちゃうかったわ…」

「まあ、ここにいる間だけでも、やってみたらいいよ。健康にもいいし」

庵天先生もテツも砂をはたいて、一同、麦茶タイムとなった。

ドラゴンパパ:
Related Post