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家族小説「太児」第十六話

この物語はすべてフィクションです。

第十六話 晶と庵天先生の家庭の事情のこと

晶は、太児たちの通う学校に転校することになった。

拳二の父が、妹のヨシ江、つまり晶の母から頼み込まれて、預かることにしたのだ。

もともと親戚たちは、晶の母の結婚に反対していた。テツの素行が良くないからだ。

親戚一同から「ほれみたことか」となっているようで、実家には帰りにくいらしい。

学園祭から数日後。

湖畔の庵天先生の青空道場に、拳二が晶を連れてきた。

「お邪魔しまっせ」

「晶ちゃん! 太極拳するの?」と太児。

「ヒマやったからついてきただけや」

庵天先生が柔らかく笑って声をかけた。

「晶ちゃん、見学かい? 一緒にやってもいいよ」

晶はふてぶてしいふりをしながらも、列に入った。

太児は深呼吸をして、ゆっくりと基本の型を始めた。雲手だ。

重心を落とし、手が大きな円を描く。

その動きは静かで、きわめてゆっくりだ。

「……なんなん、これ」

晶がつぶやいた。

拳二が笑って答える。

「太極拳。俺ら、これで強くなるんだ」

「こんなスローで強くなれるん?」

晶は眉をひそめたが、庵天先生が穏やかに言った。

「強いってのは、人を殴り倒すことじゃないんだよ。太児は、人を傷つけずに相手を止めたそうじゃないか。それも強さだ」

「そんな…。たまたま上手く行っただけだよ」と太児。

「俺は血まみれにしてやったけどね」と、すまなさそうに言う拳二。

晶の脳裏に、あの学園祭での光景がよぎった。

太児が、不良を転ばせたときのあの不思議な動き。

確かに、あれはただのケンカとは違った。

「……ウチにも、できるん?」

ぽつりと漏らした晶の声に、庵天先生は目を細めた。

「もちろん」

拳二が嬉しそうに笑う。

「ほらな、言っただろ? ここなら、お前の居場所もあるって」

晶は少しだけ口を尖らせ、照れくさそうにうつむいた。

「……じゃあ、ちょっとだけ、教えてもらおかな」

美鈴が嬉しそうに両手を叩く。

「晶ちゃん、仲間だね!」

太児は、ほっこりした。また一人、この輪の中に大切な友達が増えた。そんな気がした。

「4人なら、推手の練習にちょうどいいな…。二人で組んで向かい合わせになってみな」

太児と美鈴、拳二と晶が向かい合わせになった。

「手首を軽く合わせて、一緒に雲手をやるんだ」

太児と美鈴は、ごく自然な感じで、ひとりで型をするのと同じようにできたが、拳二と晶はうまくできない。

「おいおい、拳二、力を入れ過ぎだ。晶ちゃんは初めてなんだから、優しくやってあげなさい」

「ほんまやで、うちは日本一ウブな少女なんやから、やさしくやったってや」

「お前が逆らうから、うまくできないんだよ!」

「そんなんいうたかて、拳ちゃんが押しすぎるんや」

庵天先生が、ふう、とため息をついた。

「選手交代。太児が晶ちゃんと組んでみな。晶ちゃんは、太児に従うんだ」

太児は、いままで身の回りにいなかったタイプの晶ちゃんに、ちょっとドギマギしながら手を合わせた。そして型どおりに雲手。手首の上に、晶の手を載せている。

「あらっ、うちもできてる」

「そのまま、合わせておくんだ。太児の力の流れを感じるようにね」

拳二と美鈴の方は、こちらはギクシャクしている。手と手がガツンガツンぶつかっているよう。

「お前ら二人は、似ているなあ。どっちも我が強くて、結婚したら喧嘩ばっかりだろうな」

「結婚しません」

「まっぴらごめんだぜ!」

そしてなおも、ガシガシとぶつかっている。

「ウチのお母はんは、テツに逆らえへんかったけど、耐えられへんようになってでていったんや。喧嘩できるくらいの方がええで…」

晶がぽつりと言った。

「えっ、なんか複雑なの?」

庵天先生が、焦り気味に言った。

「すぐそこだから、まあ、寄って行けよ」

練習の後、庵天先生が4人を自宅に招いた。湖が良く見えるアパートだった。

「太児君、この前のピアノ、よかったわよお~」

庵天先生の奥さんの春子が、にこやかに笑いながら、氷を入れた炭酸水を出してくれた。

学園祭で太児がピアノを弾いていた時、庵天先生の隣にいた人だ。割烹着が似合う。

「先生、家に呼んでくれたの、初めてだね」

「みんなの話を聞いてみようと思ってな。懇談会だ」

話題の中心は、晶だった。太児や拳二、美鈴の家庭事情などは、ある程度、これまでの雑談の中で聞いている。

どうやら、晶の父は、仕事をしなくなったらしい。母ヨシ江が家業のテキ屋の切り盛りをしていたが、精神的に負担に耐えられず、出ていってしまった。

晶は子供ながらに、ヤタケタな大人の世界でひとり頑張っていたが、家出した母から、拳二の父を頼るようにと電話があって、やって来たのだ。

「晶ちゃん、大変だったのねえ…」と、手拭いで涙を拭きながら、春子が言った。

「お母さんの気持ち、わかるわ。私も子供がいたら、働かない父親の元におらせられないもの」

「庵天先生も、働いてへんのん?」

「湖で魚を釣り、山で水を汲み、イノシシを捕り、畑で野菜を作って、自給自足をしてるよ。近所の小学生に太極拳も教えている。ほとんど陳王廷の気分だ」

「陳王廷って、太極拳創始者の?」

「そうだよ。忙しいときには畑を耕し、暇があれば拳を作り、空いた時間は弟子や子や孫に教える。龍となるもよし、虎となるもよし…って言ったんだ。お前らも龍や虎になれよ」

「そうだったのかあ」

晶以外の3人は、ドン引きだ。

「お金にならへんやん」と晶。

「私がパートで働いてなんとかやりくりしてるの。武術家なんかと一緒になるもんじゃないわ」と春子。

「お前も武術家だったじゃないか。…うちの奥さんは、散打大会で女子世界チャンピオンだったんだぞ」

「ええーっ!」

散打とは、グローブと防具をつけて、自由に打ち合い蹴り合う競技だ。細身で、にこやかに笑っている今の春子の姿からは、想像もつかない。

「ケガをしちゃってね。それで、この人の施術を受けて治してもらったのよ。何年もかけて治してもらっているうちに…結婚しちゃったの」

「ええっ、先生、お医者だったの?」

「整体師だよ。整体師を兼ねた武術家は多いよ」

「当時は生徒さんも多かったんだけどね。月謝をほとんどもらわなかったから、稼ぎは少なかったわね」

「武術家が金儲けに走ると、ニセモノが横行する。俺は本物でありたいんだ」

庵天先生がブスッと言った。

「うちは子供もいないし、たいして金もかからない生活だ。テレビがないからNHK受信料も払わなくていい。それより、伝えるのを諦めかけていた本物の陳氏太極拳を、お前たちには教えてやってるんだからな。しっかり学んで、伝承者になってくれ」

「ええーっ、責任重大!」

「そうだぞ。三年かけて良師を探せというが、お前たちはいきなり良師に出会えてラッキーだ。自分で言うのもなんだけど。中学生になっても、受験だ、クラブだとか言って、やめるなよ」

庵天先生との出会いは、はたして正解だったのだろうかと、ちょっと心配になってきた太児だった。

ドラゴンパパ:
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