慢練をしていると、自分の手足の重みを感じていることに気づきました。
手や足って、ずっしり重いです。頭も重いです。重たい気分ではなくて、朝の空気を吸って気分は清々しく軽やかですが、体には重量があるという認識を持ったということです。
12オンスのグローブをつけて3分間打ち合ったら、疲れてもう手が上がらない、ということもあろうかと思いますが、疲れてないし、グローブも腕時計もつけてなくても、腕の正味の重さを感じます。
その重量級の手足を、筋肉を使って踏ん張って持ち上げているのではなくて、上から吊り下げる、クレーンで巻き上げているような気分になっています。この感覚が、纏絲なのだと思います。
中指の付け根とか、太ももの骨の先っちょとか、頭のてっぺんに糸が引っかかっていて、息を吸ったらクレーンが巻き上げて、息を抜いたら、スルスルとおりていく、というかんじ?
上げるときは、クレーンを巻き上げるエネルギーが必要で、これが呼吸、酸素とかカロリーとか気だと思うのですが、下ろす時にはエネルギーは不要、ただ地球の引力に従うだけ、ってかんじ。
按勁というのは、巻き上げ力を弱める、アクセルを緩める、掤勁を小さくすることで、下向けの力はいらない、ということです。
だいぶん前に習ったような気がしますが、やっと体感できた!
クレーン巻き上げ力、掤勁をいきなりゼロにすれば、腕は落っこちです。5㎏の重量物がいきなり落下です。これが当たったら相当痛いです。ちょっと前に、N先生に食らったときは痣ができました。
これも、地球の力を借りるってことでしょうね。
地球の力と、自分の中のクレーン巻き上げ力(掤勁)の釣り合い、バランスの兼ね合い、この陰陽の調整で、体が動いて太極拳になっているという感じです。推手の時は、さらに相手の力も絡み合ってくるってことですね。
元気溌剌筋肉ムキムキの若者には、この感覚はわかりづらいだろうなあ。私も若者の範疇から外れてきたってことか…。考えてみれば、織田信長より年上ですものね。
グラップラー刃牙に出てくるカンフー爺の郭海皇(146歳)が「若いころはムキムキの暴れん坊だったのが、年をとって、箸と茶碗の重みを感じるようになってから、本当に強くなった」みたいなことを語っておりました。あれもこういう感覚だったのであろうか。
私はまだまだ老境ってかんじでもないし、箸と茶碗は重くないですけど、150歳になるころには郭海皇の気分を味わえるのであろうか。
いろいろと楽しみであります。
コメント