太極拳の器

ランドマークブレイクスルーテクノロジーで学んだ内容は、二次利用いたしませんと誓約させられているのですが、説明会で紹介されるくらいの内容なら、まあいいでしょう。たぶん。

研修で得た成果は、お友達にも積極的に分かち合うように!と推奨されてますし。

さて、研修を受けて達人になった話は前回に書きましたが、その前段階でも、大きな効果がある、と気づきました。

この前段階、私自身にはあまり影響はなかったのですが、太極拳をこれから始める人、もしくは長年やっているけど、たいして上達していない人、上手になってはいるけど、太極拳の本質をつかんだ感覚を得られていない人には、強烈な影響を及ぼすと思います。

それは「器」(うつわ)の話なのです。

講師の先生によると、「器」は、最も言語化しにくいことであり、自分ではなかなか気づけないことなので、多くの人は器の中で生きていることさえ気づけない、と言っておられましたが、太極拳の世界に限定すれば、まあ、言語化できるかな。

「器」は、人生全般にかかわることですが、それはちょっと私には説明しきれないので、太極拳の枠を超えて、人生を深く学びたい人は、研修コースを受けてください。たぶん、生き方が変わります。(連絡いただければ、研修にご招待します)

さて、太極拳の器とは、そもそも太極拳を、どういうものと捉えているのか、って話です。

太極拳を学んで目指すところは、人それぞれ、色々ありましょう。健康のため、お友達とのコミュニケーションのため、強くなるため、中国の神秘、気を感じるため、カッコいいから、大会で賞を取りたい、などなど。

そして、自分の目的や、年齢や健康状態に合った、太極拳の器があります。

器は自分で作るものではなくて、最初に習った先生から提供されることが多いでしょう、

何十年も、その器のままで太極拳を認識している人が多いかもしれません。

しかし健康体操の器で、いくら努力しても、実戦武術にはなりません。器が小さすぎるし、形が偏り過ぎておるのです。

実戦武術の器だと、自分では信じていても、本来の太極拳の器とは、全然違う形をしている可能性が高いです。いくら頑張っても太極拳になりません。(比喩的表現です。器には形も大きさもありません)

私が20歳の頃に太極拳を始めて、長年努力はしてきたのに、たいして上達してなかったのは、器が違っていたからです。

推手を始めて器がちょっと変わり、安田先生と再会した時に、まるきり別の器に置き換わりました。

太極拳の本質をつかみ、目覚ましく上達しました。

その時は当然、器なんて意識しておりませんでしたが、研修を受けて、あーなるほど、そういうことだったのだな、と理解できた次第です。

私が達人になった! と思えたのは、その次のコースで、現実とは?自分とは?といった、より深いところを学んだ直後です。

これは、器が変わってからではないと、わからない世界だったのかもしれません。

私が太極拳を教えるときは、この、器の置き換えを意識していたような気がします。無意識のうちに。

パラダイムシフトが起きた! とか何度か書いてきましたが、それも、器の置き換えのことだったなーとわかりました。

うーむ、わかっていただけましたでしょうか??

やっぱり言語化は難しかった。

 

 

コメント