小説「太児」第八十七話

この物語はすべてフィクションです。

第八十七話 四珠が妖しき刺客を退け 七星が迷える心を洗うこと

アパートの東西南北の四方から、四人が近寄ってくる。手には拳銃を持っているようだ。

アパートの窓からは、うっすらと煙が上がっている。

アパートの入り口の木戸を、一人が蹴破り、もう一人が用心深く入っていく。

残った工作員も、周囲を警戒しつつ近づき、先に入った工作員の手招きにより入っていった。

「中に三人、外に一人」

モニターを見ながら、ヘッドセットをつけた美鈴がささやく。

「だれもいないな」と、工作員の一人が中国語で言っているのをアパートに仕掛けてあるマイクが拾った。

「死体もない」

「ここに珠が集結するとの情報をつかんだのだが…」

「珠らしい気は今のところ検知していない」

「地下への入り口があるはずだ」

「発見したら突入する。武装しているかもしれない。用心しろ」

一人の男が無線に話す。

「周囲、異常ないか」

返事がない。

「応答せよ」

工作員が顔を見合わせる。

「おい、ちょっと外を見てこい」

工作員がドアから出た途端、

「ウっ」

ドサッ。

「おい、どうした?」

返事がない。

「しまった、外から囲まれたか?」

「外に人の気配はなかったが?」

「おい、出るな」

 

モニターを切り替えながら美鈴がささやく。

「台所にひとり。居間に一人。二階に一人上がっているわ」

「了解。外の一人は片づけた」と春子。

外周カメラには、さっきまで映っていた人影がもうない。

「二階は私が行くわ。一階の二人は頼むわね。晶ちゃんは、後方から援護射撃」

「了解」と太児と拳二が答える。

春子は足音ひとつ立てず、壁を登った。

爆破された窓から工作員が見える。

春子は割れた窓の隙間から、そっと覗き込む。

工作員が、隣の部屋に移動しようとしている。

春子の指先がわずかに動き、黒い影が飛んだ。

「うっ」

針が工作員の首元に刺さり、どさっと倒れる。

その音を聞いて、一階居間の男が天井を見上げて、叫ぶ。

「おい、どうした!」

ドサッ。

台所の方で、仲間が倒れる音がする。

男が振り向くと、すぐ後ろに若い男が立っていた。

慌てて拳銃を向けたが、若い男は無表情のまま近寄ってくる。

体が浮き上がる。

「うわっ」

真っ逆さまに落ち、意識を失った。

太児が周囲を見わたした。

静かだった。

動く者はいない。

入ってきた晶が肩をすくめた。

「援護射撃、いらんかったな」

拳二が台所から出てきて言う。

「いやあ、晶が後ろで守ってくれてると思ったから、落ち着いて作戦を遂行できたぜ」

工作員は既に縛られていた。

「いや、あんたは、うちから見えへんかったから、援護でけへんかったわ」

「ええ~~っ」

春子が二階から降りてきた。

「大丈夫。私が見ていたわよ」

「ほっ、良かった!」

無線から美鈴の声がする。

「パトカーが来るわ」

「通報かしら?」

「4人も隠せないよ」

「大丈夫。連環に連絡するわ」

春子は無線機にむかって、なにやらつぶやく。

「そう。ちゃんこ鍋は具沢山。ごっつあんです。食後のデザートは、モンブラン。珈琲はブラックよ」

「春子さん、何なのその暗号」

「うう…私は嫌なのよ…先生がこんな暗号作ったもんだから、ずっとこれでやり取りしてるの!」

パトカーのサイレンが聞こえてきたが、音が鳴りやみ、赤色灯も消え、引き返していった。

「連環って、警察も動かせるの?」

「警察を動かせるわけではなくて、警察を動かせる人につながっている、ってかんじね」

「すごい…」

「あなたたちも、実質初めての作戦、しかも、突然だったのに、素晴らしい連携だったわ」

「訓練のたまものっす」

「みんな幼馴染で呼吸もぴったりよ」

パトカーが引き返すのと入れ違いに、古びたバンがやってきた。

一見、普通の商用バンのようだが、太児は護送車のような雰囲気を感じた。

「大変だったざんすね~」

七三分けにメガネにちょび髭に出っ歯、スーツに蝶ネクタイの男がバンの荷台から降りてきた。

「あれ~、トニーさん?」

「工作員どもは、うちで引き取るざんす。日本が間に入るとややこしいざんすからね」

「殺すんですか?」

「そんな野蛮なことしないざんす。中国共産党じゃあるまいし。強制収容所で洗脳するだけざんすよ」

「…」

バンから、屈強そうな男達が降りてきて、テキパキと工作員達を荷台に押し込んでいった。

太児は、下山公園での武術交流会で、流星捶使いの暗殺者を連れ去ったスタッフらしき人物がいることに気づいた。

「そう、この者たちが七星会のメンバーざんす」

「あの、前に捕まえた流星捶の人も収容所に?」

トニー渓は、ニヤリと笑った。

「田英海ざんすか?」

トニー渓はバンを振り返り、工作員を肩に二人担いで運んでいる男に声をかけた。

「ミスター田! ユーの身の上を案じてくれるナイスな青年がいるざんすよ」

振り向いた男は、まさにあの日、トニー渓の暗殺に失敗して、七星会に確保された男だった。

「おお、その節はどうも…」

「田…さん…? トニーさんの一味に寝返ったんですか?」

「寝返ったというかねえ…。あっしは、党の指令を受けて、仕事をしにきたんだが、ほんとのところ国に忠誠心もなかったのさ」

「えっ、そうなの?」

「党の言いなりで、あっしに自由なんかありゃしねえ。思想の自由もない。選択肢もない。あの国に生まれたものの宿命さ。反逆者には死あるのみってもんだ」

「逆らったら、殺される…?」

「もしくは一生強制労働で、思想教育のやり直しさ。でも、トニーさんのところで、今まで教えられなかった歴史を学び直して、いろんな思想に触れて、自分自身の脳味噌で物事を深く考える時間をもらったんだ。で、自分の生き方は自分で決めようって思ったわけだ。いいも悪いも自分で考えられる」

「でも、もう帰られないんですよね…」

「とりあえず死んだことになってるから、ここで自分のできることをやっている。こいつらにも、生まれ変わるチャンスを与えたいと思ってるんだ」

田は肩に担いだ工作員にちらっと眼をやった。

「そうなんだ…。なんだか別人みたいです」

「あの国にいると、人徳ってのに縁がないよ。トニーさんは、あっしみたいな奴にも礼儀正しく仲間として接してくれる。仁義礼智信だな。殺しに来たはずが、惚れこんでしまったってわけよ」

「すごい…」

春子が、肩に担がれている工作員に目をやった。

「ところで、この工作員たち、どこから湧いて出てきたのかしら?」

「自白させるざんす」

トニー渓が微笑みを浮かべた。

「ミスター田。もとはお仲間のユーが、親身になって、よーく聞いて、何もかも受け入れるざんすよ。我々の悪口でも、国家への忠誠心でも、家族の心配でも、いぼ痔の悩みでも、本音が出てくるまで、一時間でも半日でも3日でも一週間でも、とことん聞くざんす」

「それが七星会流の尋問、洗脳ってわけね」

「垢がこびり付いた真っ黒けの脳味噌を、きれいさっぱり洗ってあげるざんす。これが本当の洗脳ざんす」

「なるほどねえ。そりゃ、独裁国家を見限ってトニーさんにつこうって人も出てくるはずね」

バンの後部ドアがバタンと閉まった。

古びた車体には似合わない、重い音だった。

「それではエブリバディ、後始末はこっちでやっとくざんす」

運転席に乗り込む前、トニー渓が蝶ネクタイを直しながら言った。

「ミセス春子。今回の計画はずさんざんすが、これでおわらないざんすよ」

「でしょうね」

「連中は、ここに珠が集まっていると知っていたざんす」

「…それ、誰から聞いたの?」

「そこを今から聞くざんす」

トニーはニッと笑った。

「それでは、シーユー!」

バンが走り出し、赤いテールランプが夜の道を遠ざかっていった。

しばらく、誰も動かなかった。

アパートの二階からは、まだ細い煙が上がっている。

美鈴がそれを見上げた。

「……ねえ春子先生」

「ん?」

「今夜、どこで寝るの?」

全員がアパートを見る。

窓ガラスは粉々。壁には穴。玄関の木戸は蹴破られ、見るも無惨な姿になっていた。

「地下で雑魚寝」

「ええーっ!」

美鈴の声が夜空に響いた。

コメント