私がこっそり心の中でデモデモ女史と呼んでいるQさんと、久しぶりに推手の練習をしました。
サンドバッグを密着したところからバンバン飛ばしていたら、「発勁ですか?」と聞いてこられたので、「まあ、発勁です…というか、ゆっくり動いているのを瞬間で打ってるだけで、太極拳の動きは全部発勁ですよ。発勁がないのは太極拳じゃありません」みたいな説明をしていて、「それはわかるけど、でも…」と、なんか腑に落ちてない感じだったんで、まあ、発勁はおいといて、推手の練習しましょうか、となったわけです。
Qさんは、キャリアは長いので、教える側になっていることが多いです。しかし、「上下相随に気を付けて…」とか、人に教えているのを傍で見ていて、意味わかってる?とか思ったりして。
推手をして、ああやっぱりわかってない、とわかりました。いちおう情報として、言語で説明はできるようなのですが、体感として全くわかってないのです。
体を捻じるとどうなる、手足がズレるとこうなる、だから上下相随が大事!と崩しまくって体感してもらいましたが、やっぱり「でも、でも、呉式では…」とか言うておられます。呉式は知らん。
手元ばっかり見て、まっすぐ立ててないので、もっと遠くを見てくださいなと、アドバイス。
道場は、四方が全部壁で景色が見えないので、遠くに木でもあると思って、それを見てくださいよ、耳は後ろの音を聞いてくださいよ、遠くの船の音でも聞くつもりでいてくださいよ、といってみたのです。
このあたりって、あんがい海に近く、早朝など、風に乗って船の霧笛の音が聞こえてきたりするんです。この日は聞こえてなかったですが。
Qさん、「木、船、木、船…」と唱えながらやっておられました。
まあまあ、まっすぐ立てて、上下が揃ってきたかなと思いましたが、「木と船をイメージして、練習します!」と帰り際に宣言されたので、ちょっとまて、と。
「木とか船とかは、もののたとえです。現実に見えるものを見て、リアルに聞こえるものを聞いてください。妄想に陥らないようにしてくださいよー」と注意しましたら、「でもそれじゃ、屋外じゃないとできないですね」ってことで、ほんだら屋外でやんなさいよ、と思った次第です。なんか疲れる。
どんくさいなりに伸びの目覚ましいR氏とは、けっこう激しく投げあったり、打ったり蹴ったり、ベタベタに低くなったり、汗だくになりますが、気持ちよくできるので、疲れないです。
R氏もけっして理解が早い方ではないですが「でも」がないです。素直。
やっぱし、上達には素直さが大事だなあと思います。
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