知らないことを認める勇気

結婚前の私の妻が通っていて、結婚してから生まれた娘も通い出して、私も参加するようになった太極拳教室は、妻も娘も行かなくなって、私はあんまり行かなくなっておりました。

娘がいかなくなったのは、長拳クラスがなくなり、友達も皆辞めたからです。

妻がいかなくなったのは、娘がいかなくなったからです。

私が行かなくなったのは、私のレベルが先生より高くなり、得るものがなくなったからです。

ここの先生、ヘタクソだし、知識的にも、何もわかってない! 行くだけ時間の無駄、くらいに思っておりましたけど、思うところあり、久しぶりに行ってみました。

以前は、先生に話しかけることもなく、先生から話しかけられることもなく、私が参加した日は、ちょっとピリピリした雰囲気が漂っていたと思います。

表演チャンピオンの私が教室の隅っこで、黙々と皆の楊式太極拳に合わせているようで、どう見ても先生のとは別物。なんで? と、生徒さん方は疑問でしょうし、先生方はわかっていても口に出せぬ、みたいな雰囲気。

せいぜい、あの人は陳式だから、くらいしか説明できないのは、レベルの違いを認めがたいからでありましょう。陳式とか楊式とか、そんな話ではないです。

でも、久しぶりに行って、私の方から先生に声をかけてみました。

ご無沙汰しておりますとかナントカかんとか。

声をかけてみると、先生からも話してくれました。娘さんはどう?とか…。

たわいもない話ではありましたが、雰囲気が和らぎました。

そのあとも同じように練習していましたが、終わりがけに先生が、生徒の皆さんの前で「実は自分はあまり太極拳はわからない。間違っているかもしれない。もっといい方法があれば、言ってほしい」と、自分が知らないということを表明されたのです。

これには驚きました。いつも、ためしてガッテンでこういうてた、YouTubeでこんなんがあったとかお茶を濁していたのに。

私が話しかけた影響があったのかどうかはわからないですけど、私の方がビックリした次第です。勇気ある発言を心より承認したいと思います。

といってもやっぱり、指導者としてどうなんかなと思いますし、先生に向かって私が、それ、ちゃいまっせ、とは言いにくいので、今後も教室の後ろの方で、黙々と、和やかに研究しているとおもいます。

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