日本の太極拳愛好家の大多数の人にとって、推手はなんだか高度な練習法、三段検定を受けるようになってやっと取り組むもの、みたいな認識があるように思えます。
その推手も、初心者は定歩推手、レベルが上がれば活歩推手、さらに上の段階にいくと、打ったり蹴ったり解禁の散手、散打がある、という風に思われているようだし、語られています。
しかし、武術の進歩の段階としては、逆じゃなかっただろうか? と思うのです。
最初は遠間からの殴る蹴るから始まったのではないでしょうか。棒やら包丁も持ったでしょうし、支那のことですから、1対1で正々堂々という概念もなかったでしょう。(人間も野生の動物として考えれば、1対1の方が不自然なようには思えます)
殴る蹴るの攻撃を封殺するために、超近間の密着戦に行きついたのが太極拳、そこから推手の技術探求が始まり、歩法も洗練され、ついには足を動かさずとも戦えるという名人芸に至る、ってかんじではなかったのかなあ。
何度も書いていますが、私はそもそも少林寺拳法の修行者でした。けれども、打ち合いに苦手意識があり、太極拳の推手を知って、あーこりゃええわ、殴られんですむ、と思ったところから始まっているので、その感覚があるのです。(実際には未熟者だったので、よく顔面打たれました)
今の修行の段階としては、まずは套路で形を整えたのち、対人練習に進むとなっておりますが、套路には、打つ蹴るの動作がふんだんに含まれております。推手に進むにしても、打たれる、蹴られるという意識は、当然に必要だと思うのですが、そこらへんをすっ飛ばして、勁がどうたら、気がどうたら、もしくは、こうされたら、手はこっち、あっち? と順番とか方向ばかりに気を取られて、推手の本質をすっかり忘れているというか、最初から知らない感じです。そもそも太極拳が武術だと知らない人が多いか?
その点が、他武術から推手を取り組もうとする人との大きな違いでしょう。
お年を召してから太極拳を始める人は、そんなのでも老化防止になっていいと思いますが、ヤングには、本質的なところを理解して、もっと奥深いところの太極拳の楽しさを知ってほしいなあ~と思います。
というわけで、後輩にいろいろ試している私であります。
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