太極拳の黒帯

前回の記事にコメントをいただき、思うところがありました。

「8の字の運動感覚を獲得した!」に対して、「手の届かないところへ…」という賞賛をいただいたのですけど、いやいや、ここはゴールではなくて、スタートではなかろうか? という思いがあります。

これまで、自分の成長を感じるたびにブログに書いて「また一歩、達人に近づいた!」と自画自賛で喜んでおりました。

しかし、達人に近づくなんてのは、まだまだ将来の話で、ようやく「太極拳の人」の仲間入りができるレベルに、片足がかかったな、という気分です。

これは、武術として考えた場合です。

ちかごろ、いろいろな武術の人とお手合わせいただいたりして楽しんでいますが、まあ、それなりにご一緒に楽しむことはできておりますが、合気道や空手、八極拳に形意拳などの人たちに交じっていて、自分が太極拳の特性を十分に活かせている感じは、さほどありませんでした。

人の影響を受けやすいもので、相手と同じように動いてしまうのです。

多少は、化勁や発勁を意図しますけど、始めから終わりまで全部太極拳!というかんじでもなく、不足は、かつて学んだ少林寺拳法の身法などで間に合わせてしまったりすることもありました。(相手も太極拳の人の場合は、純粋な太極拳になれますけど)

このたび、8の字の無限感覚を得まして、これからは相手にも「太極拳の人だ!」と感じさせられるような動きになるんじゃないかと、楽しみにしています。

ここが太極拳の最低レベル、スタート地点だろうと考えます。

他の武道でいえば、「やっと黒帯とれた!」というところですかねー。

黒帯の概念は、流派によって違うかもしれませんが、私の解釈では、白帯や茶帯は見習いみたいなもので、黒帯を締めてようやく一人前のお稽古に参加できる、お稽古参加許可証といったものです。

ようやく本格的な太極拳のお稽古に参加できる!というか、お稽古がようやく本格的になる!嬉しい!

黒帯レベルの太極拳家は極少数という環境ではありますけど。

誤解されたり過大に評価されるといけないので書いておきますが、お稽古として他武術に対して太極拳を発揮できたとしても、実戦となると別の話でありましょう。

戦術と戦略みたいな話で、戦術としてはいくばくか身についてきたとしても、太極拳の戦略は、まだまだ学び足りておりません。

戦略を間違えると、戦術としての太極拳が使えないのです。殴り合いでボコボコにされた太極拳家が歴史上存在したみたいですが、戦略を考慮してなかったのでしょう。

太極拳の戦略については、安田先生からチョロッとは、お話を伺っておりますが、知識面で少し知った、という程度です。深く研究するには、孫氏の兵法だとかの勉強が必要になってくるのだと思います。

己を知り敵を知って(戦略)からの、捨己従人(戦術)です。

武器術に関しては、套路を覚えた程度でありまして、そんなので金メダルをいただいてしまいましたが、実際にどう用いるのか、戦術としてもまったく未熟です。まだ最低レベルにまで達していない白帯です。

とりあえず、自分で勝手に思い込んでいるだけですが、黒帯レベルに達して、これから本格的な太極拳の道を歩んでいくぞと、年度初めの抱負といたします。

エイプリルフールじゃないよ!

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