二礼二拍手一礼と纏絲

神社を通りかかると、二礼二拍手一礼をするようにしております。お賽銭はたまにしかしませんけど。

最近、このお辞儀の仕方が、上手に決まってきたなあという感覚があります。

鏡で見て確認しているわけではないのですけど、体内の感覚です。

お辞儀の角度が、ちょうどいいかんじで、ピタッと止まって、柏手を打つ時の手の角度とか位置とか、決まっているところにちゃんと動いて止まる、という気がします。

そして、その時の体感が、太極拳をしているときの、纏絲が働いているなあという感覚と同じです。

体内の糸がバランスよく引っ張りあって、上下相随して、上下の歯も、ピッタリと吸い付いて噛み合うという感覚があります。口の中が真空になります。

二礼二拍手一礼で気づいたのですが、考えてみると、他の日常生活でも、同じように感じることはよくあります。三線を弾くとか、歯磨きするとか、トイレに座るとか、妻と●●するとか…

そう考えると、纏絲の勁というのは、太極拳だけの作用ではなくて、普通の生活でも働かせるべき、人間の持って生まれた能力じゃないのかなあという気がしてきました。

「纏絲」という言葉は、太極拳用語ではありましょうけど、あえて日本語では言語化されていないけれども、そんな働きがあるんだと思います。

そして、現代人は、現代の便利な生活で、その能力が劣化しているのだと思います。

その能力を取り戻すことができれば、もっと軽々動け、重いものを持てて、疲れ知らずで、100kmでも歩き続けられるという、江戸時代くらいの人間並みになれるんじゃなかろうか? という気がします。

というわけで、本来の人間の能力に近づくためにも、太極拳、毎日鍛錬します。

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