小説「太児」はタイムトラベル小説みたいになってまいりまして、時代は1940年代。
北京が日本統治下にある時代です。
小説では、陳発科の家族と、太児の父親との交流が始まっております。
書き始めた頃は、こんな構想は全くなかったのですけど、書いているうちに思わぬ展開になってきまして、小説の創作って面白いものですなあ。
ところで、この時代を描くとなると、南京大虐殺問題に触れずにはおられまい。
真実か、捏造か、チャットGPTに聞いても、数はわからないが民間人の殺害事件はあったとのお答え。
当時の外国記者が報道しておると言うのがファクトのようです。
ですので、私も断定的な書き方はしないつもりですが、推測して同意できるところもあるのです。
以前、フィリピン戦の記録小説をいろいろ読み込んで、思ったのです。
やはり人間、生き死にの境になると、理性は吹っ飛ぶ、良心の呵責もなくなる、弱者も殺すってことです。
いかに規律正しい帝国軍人と言えども、徳の高い人間ばかりでもありますまい。
混乱のドサクサで、非人道的なことをした者もおりましょう。
30万人の大虐殺ってのは、証拠もなくて、後の時代の捏造っぽいように思いますが、軍をあげての民間人殺害は大いに可能性があったと思います。
というのも、日本人と支那大陸の人間との、危機意識、生存意欲の違いの表れじゃなかったかなと。
日本は単一民族なので、戦国時代であっても、大名殿様同士の争いであって、戦って死ぬのは、軍人、侍、またはその家族って感じだったと思います。
一般大衆は、勝とうが負けようが為政者がすげ変わるだけで、自分たちが皆殺しに遭うわけではありません。
戦禍に巻き込まれて不幸にも死ぬことはあっても、一般農民や商人が、武器を取って武士と戦うことは主流ではなかったと思います。
しかし大陸は皆殺し文化です。
親分が負けたら次は自分たちが殺される、自分の命は自分で守らねば。
だから民間武術のカンフーも発達したわけで、武術は武士の専売特許みたいな日本とは違うのです。
日本軍が南京を攻めた時、敗残兵も、一般民も、抗日ゲリラとなって、日本軍に抵抗したらしいですね。
これはたぶん日本では起こりえなかったことでしょう。
そもそも、日本国内に外国軍が入って戦争になったことなんてなかったのですし。
アメリカの空襲で丸焼きにされた時は、抵抗さえできなかったわけで。
その辺の危機意識は、日本人より、大陸の人間の方がはるかに高かったと思います。
だから、戦闘に加わったゲリラも大勢死んだでしょう。
この、軍服を着ていないゲリラを、非戦闘員の一般人だとカウントすれば、大虐殺ってことにされるんじゃないでしょうか?
でも、軍服を着てないからって、反撃もしなければ、やられますものねえ。正規の軍人ではなくとも、戦闘員には違いありません。
もっと、奥深い話もあるでしょうから、それだけではなんとも判断しかねますが、小説を書いていてそんなことを思ったのでした。

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