虚霊頂勁から始めよう

推手道場ではお善哉が振舞われまして、ごちそうさまでした。

せっかくのお善哉でしたが、お休みの人が多くて、道場が広々のびのびです。

自治会で私が主催している陳式太極拳教室にも参加しているメンバーと、道場の端っこから端っこまで使って、歩きながらの四隅推手、進一退一ではなくて、進八退八くらいを練習しました。

やっぱり、私の教室のメンバーは、上達してます。基本功からみっちりやりますから。

私の教室には参加していない道場生のNさんともお手合わせしました。この方は道場以外にも、他の教室あっちこっちに参加しておられるようなのですが、まったくダメです。

何がダメと言って、基本がないのです。

で、ステップ1として「虚霊頂勁を意識しましょう」とやりました。

このステップ1をすっとばしていては、手の動かし方だとか、体重移動だとか、足裏感覚だとか、何をやろうと無駄です。

私もここ5年くらい、人に教えるようになって、いろんな教え方を模索してきましたが、つくづくそう思えるようになってきました。

本当は、ステップマイナス2くらいから始めたいところですが、私の教室ならそこから始めますが、道場ではとりあえずステップ1「虚霊頂勁」です。

虚霊頂勁とは、頭のてっぺんが、天に引っ張られるような感覚で立つ、ということです。必然的に目は遠くを見て、首が伸びます。

しかし、Nさんの理解や質問は、とっても頓珍漢なのです。

「なるほど、虚霊頂勁を鍛えるのですね」「どこも鍛えません。首ブリッジとかしなくていいですよ。」

「首を伸ばすのですね」「いや、頭を引き上げるのです。ロクロ首じゃありません」

「一点に集中するのですね」「集中しません。遠くをぼんやり見とけばよいです」

「悪いところを直さないといけませんね」「直すも何も、まだ何にもできてませんので、悪いところもへったくれもありません」

向かい合って、推手をしながら、とにかく虚霊頂勁だけを意識せよ、とやりました。

虚霊頂勁は、私には当たり前の感覚なので、もはや意識することもないのですが、できてない人は、ずーっと意識し続ける必要があります。

「練習の時だけじゃなくて、歩いている時も、用事をしている時も、ずーっと虚霊頂勁です。ほんだら、太極拳の姿勢になってきます」

「私は姿勢がいいと言われるんですよ」

「大方の同年代の人に比べたら姿勢はいいかもしれませんが、太極拳的には、ダメです」

「ガビーン」(心の声が聞こえたような気がしました)

えらいもので、虚霊頂勁の意識だけでも30分もやっていると、姿勢が整ってきて、崩れなくなってきました。たいしたもんやなー、虚霊頂勁。

「じゃあ、ステップ2は気沈丹田です。お腹が重しになって、地面に沈む感じです。頭は引っ張られて、お腹は沈んで、胴体はまっすぐ縦に伸びます」

虚霊頂勁と気沈丹田はセットとも言えますが、同時に説明したら、たぶん理解できないだろうと思って、ひとつづつ説明しようと思ったのですが、ステップ2に入ったところで、くたびれたのか休憩に入られました。

ステップ2のつづきをするのは、何週間後になるかなー。それまでに虚霊頂勁の感覚は忘れるやろなー。

これが一番大事ということを、散々申し伝えましたが、おそらく腑に落ちてはおりますまい。ここが腑に落ちれば、站樁功も楽しくなって、どんどん上達するのですが、たぶんやらないな。

私の伝えられることは、ちゃんと伝えますけど、ちゃんと受け取るかどうかは、その人次第です。それが学びの才能ってもんです。

Nさんは「やっぱり、うまい人って才能があるんですよねえ?」なんて言ってましたが、初心者の理解度が速いとか遅いとか、勘がいいとか悪いとか、100年の太極拳人生のスパンで考えれば、そんなの誤差です。そんな才能に恵まれていない、ドンくさい人の方が上達するような気がします。

上達度合いに影響が大きいのは、それよりも、真摯に学ぶ才能と、続ける才能です。それは心がけ次第ですね。

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