「勁」はわかるけど、「気」なんてわからん! と言い続けておりましたら、道場の先輩が、気の感覚、気感を感じるための練習方法を紹介している動画を、いくつか教えてくれました。
見てみると、掌を300回こすり合わせるとか、掌を伸ばしたり縮めたり、向かい合わせにして広げたり閉じたりすると、血行が良くなって、温かくなったりピリピリしたり、健康になって、他人の体のバランスや、気持ちがわかるようになる、といったものでした。
えっ、これ?
その程度の感覚なら、昔からあります。
先輩は、「何万回も練習しないと気を感じることはできない」とか、「老師は人を見て慎重に気を教える」とか言うのですけど、教えるほどのもんか? 練習って、いる? こんなん人間やったら誰でもあるやろ?? と思ったりしたのです。
太陽を見ずとも東西南北がわかって迷子にならないとか、1000マイル先からでも海を越えて帰ってこれるとか、腹時計の誤差が5分以内とか、5分後の地震に備えてヘルメットを被るとか、次の電車は脱線するから乗らんとくとか、800m先のスナイパーに狙われているからスモークを焚くとか、親戚が今死んだので合掌するとか、止まっている心臓を手かざしで動かすとか、手かざしで敵をひっくり返して血を吐かせるとか、座禅を組んだまま空を飛ぶとか、そういった類のことを、先輩は「気」だといっているのだと思っていたのです。
だから、そんなんわからん! と答えていたのですけど。
ピリピリとか、暖かいとか、そんなレベルの話だったのか…。
梅干しを想像したらヨダレが出てくる、程度の話やんか。
なーんだ。というか、そんな感覚がない人がいるのだろうか。私も昔はなかったのかな? なかった感覚を忘れてしまった。
「気の感覚がわからない」のではなくて、「気の感覚がない感覚がわからない」のでありました。
ただし「勁」を感じるためには、訓練が必要だと思っております。
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