N先生のブログを読んでいたら、過去の記事がリブログされていて(このパターン、よくあります。手抜き?)、リブログされている記事のタイトルが「勁源」でした。
初めて聞く言葉でしたが、おおっ、なんかわかる!
N先生のブログは、かつて、最初から全部通し読みしたはずなのですが、全く覚えていないということは、その時はサッパリ理解できなかったのでしょう。
一部抜粋
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—『楊式太極拳術述真之』の①「内功理法」の 第六節「勁源」 を 抄訳—
勁源は、 内勁の発端場所である。 勁源は、人体に二箇所ある。一つは、背後の両肩甲骨の下側の角を結ぶ線のまん中にある。もう一つは、内功のレベルがある程度高くなるのを待っていると現れてくるものであるが、それは手のひら、中指の根元のところであって、亡き師は、これを「 勁源上手」〔訳注: 原文のまま〕と称した。 拳を練っている時、背部の 勁源は全身の内勁の集散場所となっており、一式一式に必要な内勁がみな勁源から発せられている。そして、両腕の上線或いは下線〔訳注: 橈骨、或いは尺骨を指しているのか?〕を通って両手に到っている。
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引用ここまで。全文はN先生のブログをご参照ください。
「勁源」は知らなかったのですが、「混元」は安田先生から習いました。
混元は、内功が湧いてくるその元のカタマリみたいなイメージを持っていて、それがどこから湧いてくるのかといえば、私は丹田辺りだと思っていたのです。
しかし、楊式太極拳術述真之によれば「両肩甲骨の下側の角を結ぶ線のまん中と、中指の根元」ってことですね。
なるほど!
持った湯飲みをバッタと落とし、小膝叩いてにっこり笑い、って感じです!
この頃、息が丹田の底に落ちる感覚がでてきて、そこから体の動きがドッシリ軽々自由自在な感じになっており、これが気沈丹田かーと思っているのですが、それ以前より、肩甲骨の間に変な感じは発生しておりました。
站樁功を長時間していると良く感じます。
それは丹田のような丸い塊の感じではなくて、ほぐしていない巨大なカニカマが1本、肩甲骨の間に、タテに挟まっている感じなのです。
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息をするたびに、カニカマがほぐれて伸びたり、縮んで元に戻ったりします。
それに連動して、胸骨と肩甲骨が広がり、上腕から前腕へと筋肉がひっくり返るように広がり、中指の先っちょまで通って、無限遠マークを描いて、反転しながら戻ってきて、カニカマも元に戻って、無限ループ、ってかんじです。
この感覚が出てきてから套路を始めると、実にシックリ、ちゃんと体が動き、これこそ太極拳! ってかんじがします。
カニカマの感覚はあっても、それが勁の源と考えたことはありませんでした。その感覚を表現しようとも思いませんでした。
しかし、名前がついていると知ると、よりクッキリはっきり認識できます。感覚も強化されるような気がします。
自分の感覚がなければ、この文章を読んだところで、なんのこっちゃですが、だんだんと古人の言ってたことが、理解できるようになってまいりました。
また一歩、達人(というか古人)に近づいた!
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