勁が骨を通るという感覚が、いまひとつわからないでいるのですが、これかな? という閃きがちょっとありました。
推手をしている時ではなくて、電車に乗っている時だったのですけど。
私は剣道部だった中学生くらいの頃から、電車というのは、立つ訓練の場だととらえておりました。スポ根漫画の影響です。
子供の頃は、揺れに耐えて、バランス感覚を養い、足腰を鍛える! というイメージでしたが、太極拳をやるうちにだんだん変わってきて、揺れを逃すとか、電車の揺れに同調してみるとか、そんな気分になっておりました。たまに、同調失敗で他のお客さんより、ぶっ飛んだりします。
沈む浮くの同調を間違えると飛ばされます。いうなれば、F1マシンのエアロパーツがうまく機能していればダウンフォースを得られて地面に吸い付いているのが、ちょっと跳ねたりして、空気が潜り込んだ瞬間に、マシンが宙を舞う、みたいな。
よくわからないですね。まあいいです。
とにかく、踏ん張るということはあんまりなくなってきていたのですが、それでもやはり足の筋肉は使っているかんじはありました。全関節をパンダグラフみたいに伸び縮みさせて対応しているというか。
それがある瞬間、ふと、まったく筋肉に頼ってない、骨のつながりだけで、バランス取れてる、という感覚がありました。骨組みだけで立たせてたら、揺れてバラバラと崩れそうなものですが、その骨の中にちゃんと力が通っているというか、地球の引力が上手に通っていて、頼りなげでも抜群に安定しているというような。これが、勁が骨を通るってことか?
よくわかりませんね。まあいいです。
勁というのは、相手に伝えたり、相手の力を減衰消失させるもの、水平方向、相手は人間というイメージがありますが、電車の中で立っていると、勁は垂直方向に働いており、相手は電車の床というか、地球です。
全然性質が違うものに思えますが、同じもののような気がしました。こういう感覚って、一瞬の閃きです。左脳で考えているものでなく、小脳あたりの働きでしょう。
なんか、ヒントをつかんだ! というかんじです。
こういう小さな気づきの検証、実験の積み重ねも、達人への山道を歩むうえで必要なことなのでありましょう。5合目辺りからは、そういうことが大事になってくるような気がします。
コメント