会話は武術

このたびの大阪-福島-東京-福島-大阪の、武術修行および娘の応援及び鎮魂の旅では、とっても多くの出会いがあり、会話がありました。

日頃の練習会では、それほどお話することもなかった兄弟子姉弟子たちとも、ずいぶんお話しできましたし、噂のあの先生にもご挨拶できました。

講習会場で休憩時間に話した人は、本業がオペラ歌手で、うちの娘が参加している合唱コンクールのことも良く知っておられ、審査員はお友達だと、ビックリ話もできました。

さて、会場で会う人とお話するのは普通のことですが、今回の旅では、いろんな人に積極的に声をかけておりました。

新幹線の中では、隣りの人が同じスマホ(京セラTOUGH)だったので、おんなじですねーと声をかけ、軍パンを履いていたお隣のお兄さんにも、おんなじですねーと声をかけ、サバイバルゲームや太極拳の話で盛り上がりました。

お兄さんは、ファッションで軍パンを履いていただけだったのですが、屋内サバゲーの話には興味津々で、帰ったらネットで検索するんじゃないかなあ。

すでに書きましたが、タクシーの運転手さんは、会話の末、太極拳を始める宣言をされました。

旅館では、神戸から東京にやってきたジャイアンツファンのおっちゃんと風呂に浸かりながら話し、阪神ファンの悪口とか、ステキな親子関係の話も聞けました。

お巡りさんとも会話したなあ。あれは会話といっていいのかどうかわかりませんけど。

私は実はそんなに社交的な方ではないです。知らない人に声をかけるのは、まあまあ勇気が要ります。

なんで声をかけまくっていたのかと言えば、ランドマークブレークスルーの課題なのです。

ブレークスルーの最初のコースで太極拳が私の使命となり、次にアドバンスコースで覚醒し、さらに一年通しのリーダー育成コースを受講中です。

こちらのコースの課題が、人をエンロールせよ、です。

エンロールというのは、人を喜ばせたり、力づけたり、影響を与えるってことで、私が太極拳の話をしたら、その人も太極拳をやりたくなるとか、そんなかんじのことです。

ランドマークのことを人に話して、コース受講を誘いましょうってので、最初はなんだかタダで営業を手伝わされてるみたいな気分でした。友人達に受講を勧めたら、カルト宗教の勧誘みたいに思われて、友情にヒビが入りそうですし。

しかし、だんだんと話し方とか、話す順番とか習うようになり、どうやらコース勧誘が目的ではなくて、会話で人間関係を深める練習なんだな、と思えるようになってきました。(ランドマーク社的には新規顧客獲得の意図はあると思います)

勇気を振り絞って、思い切って声をかけてみると、ムスッとつまらなそうな顔をしていた人も、案外ニコッと笑って、会話に乗ってくれるものです。知らない人と話をするのは、意外と面白い。

イヤホンをして、忙しそうにパソコンをパチパチしている人には、さすがに声を掛けませんけど、旅路の人は、出会いを求めているのかも。

いろいろな人に声をかけていると、何となく相手の気持ちを掴めるようになって、もっと話を突っ込んでみようとか、このあたりで引いておこうとか、判断できるようになってきます。

これは、武術でも大切なことではないか、と思えてきました。

格闘競技に会話はいりません。

コートで向き合って、審判の合図で試合を始めて、終わります。格闘技術や体力、メンタルの優劣で勝負が決まります。

しかし、武術はそうではないです。いきなり殴り合いの応酬にはなりません。手を交わす前になんらかの駆け引きがあります。

相手は動物ではなく人間ですから、まずは言葉のやり取りから始まることが多いでしょう。

理屈で論破するとか、脅して従わせるとかでなくて、いざ肉弾戦となるとしても、会話で心理状況を探れるはずです。優勢劣勢は、その時点で判断できますから、目くらめっぽう突撃するまでに作戦を立てられます。

機を見るに敏ってやつです。

実戦では、格闘技術や体力以上に、会話が勝負を左右する気がします。会話で争いが避けられるなら、それはそれで武術の目的を果たせます。戦わずして勝つ、です。

ですので、武術を志す者は、型練習やどつきあいの練習も大事でしょうが、心理的駆け引きも訓練しておくのが良いように思います。

やたらめったら知らない人に声をかけまくるトレーニングは、とても効果的だと思いました。

これって、写真家の訓練になんだか似ているなあ。(知らない人に声をかけまくって、写真を撮らせてもらうトレーニング)

コメント