陳正雷老師の講習会のあと、再び福島県に向かい、妻子と合流しました。
合唱コンクールに出場した娘の学校は、中学生の部も高校生の部も本選出場ならず。
合唱部の皆さんはもう帰られたようですが、娘はママと残って福島観光、コケシ作りとかして楽しんでたみたいです。
私は講習会最終日の夜に福島着。妻子の泊まるアパホテルで合流して、近くの居酒屋で地酒を飲みました。
東京では、台東区の一泊3500円の安宿で連泊しておりました。
三畳一間に布団敷き、トイレは共同で、風呂は時間帯により男女交代、別に困らないし、私は普通にくつろげますが、外の公園はホームレス村という、なかなか楽しい環境でした。
アパホテルは一人部屋が5000円、ちょっと高いと思ったのですが、台東区の安宿の10倍くらい良かったです。
えっ、これでビジネスホテル?と思うクオリティ。
紙コップとかでコスト削減はしているようでしたが、ぜんぜん貧乏臭くないし、お風呂もいいし、窓からの眺めも抜群だし、部屋に置いてあった社長の本も面白いし、これからはアパホテルにしよう!
東京と福島では相場が違うかもしれませんけど。
翌日、せっかく福島まで来たので、あちこち見ながら帰ろうと思いました。
娘は仙台の水族館に行きたいというので、レンタカーを借りて、まずは相馬市伝承鎮魂祈念館に行きました。
娘は関心無さそうでしたが、私は前から震災と津波の跡を訪れたいと思っていたのです。
東日本大震災が起きたのは、ちょうど娘が生まれた年です。やってくるまで14年もかかってしまった。
祈念館のある場所は、民家や民宿のあった場所だったそうですが、今は公園です。
他の建物は、大きな倉庫とか。道は広くてキレイ。
かつての人の暮らしは、津波がみんな流してしまったのですね。
スクリーンで映像を見せてもらいましたが、娘はずっと目をつむってました。怖いんかな?
水族館ではイルカやアシカのショーを見ました。岬町やら串本やら、あちこちで見てますけど、うちの娘、こういうの好きですねえ。
真珠をアコヤ貝から取り出す体験もして、イヤリングにしてもらってました。
最後に荒浜地区の津波の遺構を見に行って、砂浜の波打ち際までいって、鎮魂祈念しました。
こんな静かな海なのに、なにもかも流してしまったのだなあ。合掌。
ところでふと、津波がきたら走って逃げれるかな?と思いまして、砂浜をダッシュしてみたのです。
全力疾走なんて、もうずいぶん永らくしてませんでしたが、めちゃ速く走れました。
大学少林寺拳法部の夏合宿では、さんざん砂浜ダッシュをさせられましたが、たぶん当時よりスピードが乗ってる!
太極拳の鍛練で、体の構造をうまく使えるようになったからだと思います。
学生時代は、無駄な力を使って、ゼーゼーハーハーいうばかりだったなあ。
54歳の今の方が運動能力があがってます。ありがたいことです。
ただ、津波から逃げきれるかどうかはわかりません。
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