独習で黙々と套路の練習をしていた20年もの期間、陳式太極拳の74式ある套路の動作のひとつひとつの名称は、あんまり覚えておらず、気にもしておりませんでした。
套路は最初から最後まで、ダーッとした流れで覚えており、誰かと練習することもなかったので、名称を覚える必要はなかったのです。
単鞭とか、金剛搗碓くらいは覚えておりましたが。
前回に書きました、一週間酔拳修行では、動作名称なんて、ひとつも覚えずに、套路は全部、動作だけを覚えました。先生の説明には通訳がなかったので、ボディアクションしか理解できなかったということもあります。
しかし、人に太極拳を教えるようになって、説明のために名称を覚える必要ができてきました。ちゃんとした発音もできるようになっておこうと思いましたし、名称の意味も、知っておこうと思うようになりました。
最近ようやく、安田先生に学ぶようになって、あの支那武術特有の、ファンタジックでメルヘンチックな動作名称の意味を知ることができるようになりました。
野馬分鬃とか青龍出水とかですね。
なぜ、そんな名前の付け方になっているのか、少林寺拳法の「金的蹴膝受波返」みたいな、目的と動作がわかりやすい名称じゃないのか? という理由も知ることができました。
これは、攻撃に対処する技が考案されたという概念ではなく、自分自身の動きを練っていくという考え方から、そのようになっているという話です。
少林寺拳法の技も本来はそうだったみたいですが、開祖の宗道臣先生が日本向けに編纂するときに、わかりやすい名前に変えてしまったのですね。(カッパ・ブックスの「秘伝少林寺拳法」に書かれていたと思います。この本は何十回と読みましたが、どこかにいってしまいました。アマゾンではプレミアム価格になっていますね)
また、多くの人が誤解しているが、本当はこうだよ、ということも知ることができました。野馬分鬃の意味は、目からウロコです。
さらに、一つの式は、いくつもの動作の組み合わせで成り立っており、細かい動作にも、同じような名前が、実はついているのだということも学べました。
ここまで細かいことは、なかなか学べないと思います。太極拳学習者の多くのみなさんも、おそらく知らないんじゃないでしょうか?
しかし、名前を知るということは、とても学習への影響が大きいです。病気でもそうですね。病名のない症状は、なんか調子悪い、というだけのことですが、病名があれば、いろいろと研究できます。
(ただ、漢方では、ひとつひとつの病名に対処的アプローチをするのではなく、全体的に視る、と聞きます。漢方薬には、やはりファンタジックな名前がついております。ひとつひとつの症状にアプローチする方法を考えるのではなく、根本を見て、陰陽の調和を図る、未病も治す、というのは、敵の攻撃一つ一つに対抗策を考えるのではなく、本質を見て、陰陽を転換させて、やられる前にやる、という武術の考え方に似ているような気がします。)
名前を知るのと知らないのは、意識できる、できないという差と同じです。名前を知らないのは、存在しないのと同じです。
動作の順番を示すような名前でなくて、根本的な概念を理解できるようにと、古の武人が考え出したのが、各動作名称でありましょう。
私も動作名称を知ることで、太極拳の理解が、ぐーっと深まりました。古代支那の概念ですから、じっくり説明を聞かないとわからないところもありますが、イメージできれば、なるほどそうか! と、持った湯呑をバッタリ落とし、小膝叩いてニッコリ笑いたくなります。
宗道臣先生も、元の名前を残しておけばよかったのに、とか思ってしまいます。怒られそうなので言いませんけど。
というわけで、名前は大事ということでした。
「ローシャープー」みたいな、カタカナ中国語の怪しげな発音を覚えるだけじゃなくて、概念を理解すると太極拳は上達すると思います。
というか、日本語読みでもいいので、概念の方をまずは正しく理解するほうがいいと思います。
(ローシャープーは、搂膝(ろうしつ/lōu xī)と、拗歩(ようほ/ào bù)をひっつけたようです。言っている本人は、漢字をイメージできているのであろうか??)
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