実は私は「愛」を知らないのかもしれない…という気がしてきました。
一連のランドマークワールドワイド社提供のプログラムを受けていて、そう思えてきたのです。
妻子供はもちろん大切に思っておりますし、親から大切に育てられたとは理解しております。
しかし、日常生活で「愛している」なんて言葉を使ったことはないし、愛しているなあーと思ったこともありません。
自動車のブレーキランプは「ア・イ・シ・テ・ル」ではなく「チ・カ・ヨ・ル・ナ」です。
古来日本では「大事」とか「大切」という言葉で愛情を表現したと読んだか聞いたことはあって、それはシックリきます。
夏目漱石が「日本人は愛してるなんて言わない、月が綺麗ですねとでも訳しておけ」と言ったとか言わなかったとかですが、これも納得できます。
アメリカ人が頻繁に”I LONE YOU”というのは、日本人が「すんません」と言う程度の、日常的社交辞令の言葉だろうとさえ、思っておりました。
「愛してる」なんて、得体が知れないし、気持ち悪い。
しかし、「愛」は、概念とか、意志の表現、決意表明や誓約の言葉ではなくて、実は実は、感覚だったのか!?
ムラムラする性欲の感覚は、普通に頻繁に感じることができます。(最近は減りましたが)
正義感や敗北感でムカムカと怒りが沸き上がることもあります。(これも最近は減りました)
胸が張り裂けるような悲しさ、ぽっかり穴の開いたような虚しさ、あんまりなくなりましたけど、思い出すことはできます。
嬉しい、楽しい、ワクワク、ルンルンの喜びの感覚は自然に発生します。これはよくありますね。強敵にお手合わせを願う時は、犬ならば尻尾を振る気分だと思います。
散々遊んだ後は、満足充実感で満たされます。
そのような感覚の一つが「愛」なのか!?
「喧嘩した後にセ〇クスした感じ」と、ある人が言っておられまして、私にはその経験がないので、わかりませんでした。
普通、喧嘩したら、触らせてもくれませんわね。
セッ〇スに至る前の感情はだいたい「ムラムラ」です。終わった後の満足感は、お手合わせのあとの満足感と似ています。(通常、終わった瞬間、男は賢者に戻るそうですが)
「愛」をオトノマペで表すならば「ほわほわ」?
前回の記事で、私は重心移動の気分を「ホワホワ」と表現しましたが、鬼滅の刃では、野生児だった嘴平伊之助が、人の優しさに触れたり人を思うようになったときに自分の気持ちを「ほわほわ」と表現しています。
そんな感覚が「愛」なのかなあ?
ちょっと、しばらく「愛」を探求してみることとします
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