オペラ歌手、車田和寿先生のYouTubeからの気づきです。
前衛音楽に、4分33秒なにも演奏しない、「4分33秒」という作品があるそうです。作曲者はアメリカの音楽家、ジョン・ケージ。
これを音楽といっていいのか? と議論を巻き起こしたセンセーショナルな作品だそうで。
演奏しなくても、まったく無音ということはなく、なにかしら音は聞こえる、耳を澄ませて何かを感じ取る、という意図を込めた作品という話ですが、そんな発想は昔からあることで目新しいことではない、規則性のない音を音楽とは認めない、というのが車田先生の見解でありました。
演奏しない作品を音楽と認めるかどうかは、私は音楽家じゃないので語れることはないですけど、これを太極拳に当てはめてみましょう。
さて、動かない太極拳は太極拳か?
(先に進む前に、考えてみましょう。4分33秒ほど)
私の見解。
太極拳ができる人がやれば太極拳だろうと思います。
じっとしていても、敵が襲ってくれば、すぐに軽やかに対応できる状態であれば、それは太極拳でありましょう。
4分33秒じっと立ってるなんて、私は毎朝やっとります。4分じゃなくて、40分くらいやっとります。じっとしていても動いていても、内部の感覚にさほど違いはありません。ですので、站樁功は太極拳です。
ただし、太極拳の人がやれば太極拳なのであって、空手家がじっと動かねば、それは空手でしょう。
ということは、音楽家がじっと構えておれば、それは音楽なのでは?
表演競技専門の人がじっとしていたら、それは太極拳かなあーと悩みます。
表演大会で、起勢で初めて4分33秒、ずっとつったっていて、最後に収式で終わったら、どうだろう?
1分15秒くらいの時点で、「失格、退場!」って言われるような気もします。(ルール上どうなるのかよくわかりませんが)
表演しかできない人が表演をしないと、何も残らないように思いますが、ほんまもんの太極拳の人なら、動いてなくても太極拳って気がするのです。競技ではゼロ点かもしれませんが、魅かれるものがあるかと思います。
太極拳に限らず、空手でも居合道でもなんでもいいですけど。
車田先生は「技術がなければ芸術じゃない」といわれていました。
技術のある人が、その素晴らしい技術を見せれば、まごうことなく芸術ですが、あからさまに技術を見せてなくても、技術を感じさせることができれば、それも芸術といえるんじゃないかと思うのです。
技術のなければ、派手なアクロバットで飾らないと目を惹きませんが、本物を内包していれば、動かなくても武芸です。
しゅしゅっと線を一本引いたのが小学生なら落書きですが、ピカソなら芸術です。
ということで、「4分33秒」も、すばらしい音楽家が、聴衆の心をつかむように休符を演奏すれば、それは音楽といっていいんじゃないかなーと、思ったのであります。
コメント