駅の構造が不便なのは、移動の自由の侵害といえるのか

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JRの京橋駅では、大阪環状線と、東西線・学研都市線に乗り換えするのに、5基のエレベータを上がったり下がったりしないといけなかったそうですね。

階段を使えば1分で済むところ、車いすの人だと10分以上かかってしまうという不便さだったそうで、そりゃたいへん。

それがこのたび、70億円かけてエレベーターを3基増やすことになり、もっと便利になるそうです。

よかったよかった。

憲法が保障する移動の自由の侵害?

便利になるのはいいと思いますが、エレベーター増設に至った経緯が、車椅子の人からの提訴だったそうです。

もっと便利にしてくれ!という要望なら問題ないと思うんですけど、「憲法が保障する移動の自由の侵害」だと、弁護士が提訴したらしいです。

通り一遍のお願いじゃJRが動かないので、こじつけの裏技を使ったのかもしれませんが、「移動の自由の侵害」は違うだろう~と思います。

それは、人種差別で入ってはいけないエリアがあるとか、北朝鮮が日本人を拉致監禁しているとか、そういう話ですわね。

 

そんなこと言い出したら、古い町並みの石畳がガタガタだから移動の自由の侵害だ、アスファルトで平らに固めやがれとか、金剛山はロープウェー降り場から山頂まで遠すぎる、もっとてっぺんに駅を作りやがれ!とか、奈良の大仏様の鼻の穴を通れない、もっと広げやがれ!とか、いくらでも難癖つけられます。

マクドナルドのコーヒーが熱すぎる!というアメリカの有名な訴訟事件がありますが、そんなの、自己中心のわがままを通すためのなりふり構わない醜い行動だと思うのです。

 

京橋のエレベーターが増えるのは公共の利益になるので、結果良かったかもしれませんけど、この主張が通るというのは、今後、問題があると思うなあ。

法解釈を巡る争いってよく聞きますが、法律の前に倫理とか道徳があるべきじゃなかろうかと思います。

無理を通すために法律をヒネクリ回して屁理屈こねて成功報酬をいただくのが弁護士の仕事かもしれませんけど、国民全員がそんなことを言い始めたら、日本文化は無茶苦茶になりますね。

こういう最近の風潮には、ちょっと、危惧いたします。

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