キリスト教の教えを簡単に説明してもらいました

学習・資格・教養

子供がカトリック系の私立小学校に合格しましたもので、入学の手続きやら説明やらのために、学校に行ってきました。(入試前から何度も行ってはおりますが。)

お受験勉強から開放されてヤレヤレってところですね。

説明会では、学園長さんから、保護者のために、キリスト教、カトリックについて、教えてくれる時間がありました。

 

私はあんまりキリスト教には明るくなくて、以前に新約聖書と旧約聖書を流し読みしたことはありますが、あんまりピンときておりません。

右の頬を打たれたら、左も差し出せ、なんてとんでもない、右にヒットする前にカウンターやで! なんて思っておりました。

しかし、このたびの先生のお話は、簡潔でわかりやすく、例も現代的で面白く、とっても納得、共感できるものでした。

私なりに理解したところ、メモしときます。

目次

キリスト教の教えの基本的なところ

このたび教えてもらったのは、小学生の子を持つ親のための教えなのでしょう。

他にも色々と膨大な教えはあるんじゃないかと思いますが、先生から学んだのは、みっつです。

1.喜びなさい
2.祈りなさい
3・感謝しなさい

この内一番難易度が高いのが、「喜べ」ということだそうです。

喜びなさい

旦那が、夜中に酔っ払って帰ってきて、お隣さんの玄関チャイムを、ピンポンピンポン鳴らし続けているのを喜ぶのは、「無理!」というのが、学園長さんの見解です。

完璧になんでもかんでも喜ぶっていうのは、無理ということなのですが、喜ぼうとする姿勢が、人生を良くします、というふうなお話でした。

同じ出来事を、ポジティブにもネガティブにも受け取ることができますから、どうせならポジティブに考えたほうが幸せですね。

昔みた、TVアニメの「ポリアンナ物語」を思い出しました。

 

小さい女の子のポリアンナは、牧師だったお父さん(故人)の教えを守って、なんでもかんでも喜ぼうとするも、次から次へと難題が沸き起こるって話でした。

それでも、ポリアンナの、喜ぼう喜ぼうとする姿勢が、まわりのイケズな人たちにもいい影響を与えて、みんな幸せになっていく、というような話だったように思います。

私は、わりと、このあたり実践できている方だと思っておりまして、物事をけっこう気楽にラッキーだととらえる習性が身についております。

先日、台風で、眼鏡が飛んでいって自転車で踏んづけてバキバキになったのですが、その眼鏡はあんまり合ってないなあ、そろそろ替えたいなあと思いつつ、予算の都合で先延ばしにしておったものでした。

台風のお陰で吹っ切れまして、眼鏡屋に行くことができました。

バキッと言う音に、「ギャー、ショック!」じゃなくて、「ラッキーかも。」という感情が反射的に出ましたので、なかなかイケていると思います。我ながら。

また、私は倫理法人会という経営者教育団体の会員なのですけど、こちらでもよく「喜働」という言葉を聞きます。喜んで働けば元気になって人生ハッピー、ってことです。

また、どんなことがおこっても、「これがよい。」と思えばハッピーだとも、よく語られます。

おんなじことだなあと思えまして、キリスト教に親しみを感じた次第です。

祈りなさい

キリスト教で大切なのは、常日頃より祈りなさいということです。

天にまします我らの父よ…という祈りでありますが、この意味は、1億円儲かりますように、というような俗にまみれたお願いを神様に押し付けるんじゃないようです。

なぜかここで神道のお話。

神社で手を合わせる意味も、お願いをしているのではなくて、「私はどこそこのなになにです。これから、こういうことをしたいと考えております。それが正しい道ならば、うまくいくように見守ってください。」というふうに心で願うのが本来だそうです。

正しい道ならばうまくいくように、間違っていたら、失敗させてくださいってことですね。

5円払うから一億円くれ、ってことじゃないのです。

べつに神に祈らずとも、天の道に沿うことならばうまくいき、外れることならば失敗するのが道理です。これはもしかして、神に祈る体裁をとっているけれど、実は、自分の心に向き合っているのかな、と、私は思ったのでありました。

キリスト教の祈りも、そんなかんじで、祈ることで正しい行いができるように、自分の心に誓うということなのかもしれないです。(私の理解と解釈によると。)

ちなみに、なぜ、学園長先生が神道の話をしたのかと言えば、ご実家が神社だそうで。

祓い給え清め給えからアーメンの道に進まれたのですね。

感謝しなさい

3つ目の話となると、ちょっと集中力が途切れてきまして、やや記憶が曖昧です。

子どもは、親の所有物じゃなくって、天からの預かりものであって、子育てができること、自分が今まで学んだことを子に伝えられることを、ありがたく思うように、というような話だったかな?

忘れちまった。

まあ、なんせ、感謝は大事ってことですね。

私も常日頃、感謝して生きております。たまに不満もありますけど。

もしかしたら、子供の頃のほうが、感謝の気持ちが強かったかもしれません。子供の頃は、どういうわけか、身の回りのありとあらゆるものに、ありがたいなーと、思う気持ちがありました。これは、失うことの恐怖と裏返しだったような気もします。

今は、失くなったらまた買ったらええわ、みたいな感覚があって、ものに対する感謝は薄れてきた感じがしますけど、人の恩とか、生かされていることとか、かけがえのないものに対する感謝は、忘れてはなりませんね。

不満だらけで生きるより、感謝の気持ちで生きるほうが、毎日ハッピーです。

人は不完全な生き物

そのほか、面白かったお話があります。

むかしむかし、宮廷画家が、天使の宗教画を描くのに、天使っぽい子どもを探し回って、モデルにしたそうな。

数十年後、こんどは悪魔の絵の注文を受けて、国で一番、悪魔っぽい男を探してモデルにしたそうな。

そしたら、実はその男は、かつて天使のモデルにした男の子の、成れの果てだったというお話。

人生の過ごし方で、人間は天使にも悪魔にもなるんだよ、というお話でした。

動物は完全体で生まれ、完全体で死ぬけれど、人間は不完全に生まれてくるということで、親はしっかりせえよ、というふうに受け取った次第です。

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